2013年6月27日木曜日

ビジュアルノベルのグローバル化

世の中にはありとあらゆるゲームが溢れている。そう感じる人は少なくないだろう。事実、その通りである。

しかしながら、我々がそれらの多様なゲームをプレイしているかというと、実はそうでもない。多くの人は、好みのジャンルやシリーズのゲームを絞ってプレイする。そもそも、それらの多様なゲームのすべてをプレイする時間はない。

だがそれ以上の問題は環境だ。多様なゲームの世界も実際のところ、言語、文化、地域、ハードウェアといった壁に阻まれている。日本語にローカライズされていないという理由で、遊びたくても未プレイのインディーゲームは10は下らない。インディーゲーム以外でも日本国内にパブリッシャーがつかないといった理由でプレイできないタイトルはたくさんある。

そのような理由でゲームのローカライズや他の地域やハードでのパブリッシュは、今後のゲーム文化にとって非常に重要だ。AAAタイトルは、開発と並行して多言語対応を行い、複数のプラットフォームで全世界同時リリースすることは珍しくない。しかしながら、インディーゲームやニッチなジャンルのゲームは、言語や文化、地域やハードウェアの壁に阻まれ、ユーザーが遊びたくてもプレイできないということは珍しいことではない。

ビジュアルノベルとオタク文化

中でも「ニッチの中のニッチ」とさえ言われる「ビジュアルノベル」は、これまで日本以外の地域ではほとんど開発されることも、流通することもなかったゲームジャンルである。そもそも、日本のPCゲームというニッチな市場で登場したジャンルである以上、日本国内でもビジュアルノベルはマイナーな存在だ。だが、アニメやマンガを含めたオタク文化の一つ、もしくはそのハードコアとして、ビジュアルノベルはその小規模なマーケットにもかかわらず、国内でも注目を集めてきた。

LeafやKeyといったアダルトゲームブランドの作品、『月姫』や『ひぐらしのなく頃に』といった大成功を収めた同人ゲームは、アニメ化、ノベライズ、コミカライズを受けて多くのファンを獲得している。また日本の批評やゲーム史においても重要なファクターとして幾度と無く言及されてきた。必ずしもファンのすべてが原作のビジュアルノベルをプレイしているとは限らないが、現在の(特に2000年代以降の)オタク文化を築いたものとしてビジュアルノベルの影響度は少なくない。

またゲームプレイのコアの部分はアクションやRPGであっても、日本のビデオゲームは部分的にビジュアルノベルを導入しているものが多い。要するに「立ち絵」と呼ばれるキャラクターグラフィックスにインポーズされるテキスト、及びボイスオーバーだ。ビジュアルノベルをプレイしたことがない日本のゲーマーの多くも、ゲームプレイの幕間に挿入されるパートでそれらに馴染んでいる。

他方、その「立ち絵+テキスト(ボイス)」というあからさまにアニメ・マンガ的演出は、日本以外のゲーマーにとっては非常に奇抜なものに映る。海外で人気のあるFPSやオープンワールド系RPGといったゲームジャンルの多くは、画面から極力テキストを排して、リアリティのある3Dグラフィックスで物語や世界観を表現するからだ。結果として、良くも悪くもそのようなビジュアルノベル的演出は、日本のオタク文化を強く印象づけるものであろう。

海外におけるビジュアルノベル

これらの日本のオタク文化やビデオゲームに与えた影響を考えると、海外のオタク文化のファンたちがビジュアルノベルに興味を持つことはさほど不思議ではないだろう。さらに『Kanon』、『ひぐらしのなく頃に』、『Fate/stay night』といった作品はアニメーションの形で海外のファンまで届いている。北米最大規模のアニメニュースサイトであるAnime News Networkのトップレーティングでは、『Steins;Gate』、『Clannad After Story』とビジュアルノベルを原作とした作品がワンツーフィニッシュを獲得している。これらの作品のファンの一部が原作をプレイしてみたいと思うことは自然なことだ。

先月、京都の立命館大学で行われた国際日本ゲーム研究カンファレンスでは、カナダ人研究者たちによる『Visual Novels Outside Japan』と題された発表が行われた。本学会には筆者も参加したが、発表で使用されたスライドはこちらで閲覧できる

彼女らによれば、ビジュアルノベルを日本国外にローカライズしようという試みは、比較的早い段階から存在したそうだ。アメリカのJUST USAはアダルトゲームを含むビジュアルノベルのローカライザー及びディストリビュータとして1996年に設立された。またヒラメキインターナショナルは日本のアニメーションのローカライズと共にビジュアルノベルのローカライズとパブリッシングを行うために2000年に設立された。

このようにビジュアルノベルは、2000年初頭からすでに海外向けに輸出が行われていた。しかしながら、アダルトコンテンツの販売の難しさ、海外では馴染みのないゲームジャンル、ローカライズのコストといった様々な困難に阻まれ、商業的には成功したとは言いがたい。

しかしながら、その後も日本のビジュアルノベルの多くは、海外にローカライズされてきた。それらの多くは「fan translations( ファンによる翻訳)」である。もちろん、これらの翻訳やローカライズは法的にグレイゾーンであり、ファンによる翻訳プロジェクトは商業ローカライザーやパブリッシャーと対立することもある。しかしながら、ビジュアルノベルのローカライザーとしては後発のオランダのMangaGamerなどは、ファンによる翻訳プロジェクトと日本の開発者を仲介して、公式にfan translationsをリリースすることもあったそうだ。

このようにビジュアルノベルは草の根レベルでは、確実に世界に広がりつつある。それでもビジュアルノベルが市場を獲得するのは、依然として困難であると先の発表の研究者たちは考えている。その理由は、ローカライズのコストやアダルトコンテンツの規制といった問題点以上に、欧米のゲーマーに「文字を読ませる」ことの難しさにあると、彼女らは考えているのだ。

先に述べたように、FPSやオープンワールド系RPGといった欧米で人気のあるゲームジャンルは極力文字テキストを排してきた。さらにそれらのゲームはプレイヤーの入力に対して素早くフィードバックが返ってくる。それに対して、ビジュアルノベルの多くは、選択肢などによるインタラクションをあるものの、それらの決定がフィードバックされるのは大量のテキストを読んだ後である。

欧米のゲーマーにとってビジュアルノベルの最大のハードルは「読むこと」であるという指摘は、発表でも紹介された以下の記事が参考になる。

Visual Novels: A Cultural Difference Between The East And West” from Siliconera
The Weird World of Japanese "Novel" Games” from 1UP.com

これらの記事では、そもそも、文字を読むという習慣が日本と欧米では、かなり異なることが指摘されている。確かに日本人はゲームに限らず、雑誌、マンガ、広告と様々なメディアで文字を読むことに慣れ親しんでいる。またゲームに求めるものも、日本と欧米では異なっているだろう。

草の根による国際化

このようにビジュアルノベルは日本の外では苦戦を強いられているという。そもそも、日本国内でもビジュアルノベルそれ自身はマイナーであるため、想像に難くない。だが、彼女たちは日本の外でビジュアルノベルが成功する可能性は、まだまだあると考えているようだ。その根拠として、カプコンの逆転裁判シリーズ(英題:Ace Attorney)が全世界で累計390万セールスを記録したことを指摘している。

日本人の感覚からすると、そもそも逆転裁判シリーズがビジュアルノベルに当たるのかという疑問もあるだろう。しかし、彼女らによれば、本シリーズは欧米でのビジュアルノベルの需要を少なからず示しており、何よりも多くのテキストを読むことで素晴らしいゲームに出会える可能性を示唆しているというのだ。

狭い意味でのビジュアルノベルではなく、キャラクターの立ち絵と膨大なテキストを含んだアドベンチャーゲームという意味ならば、確かに海外でも成功の可能性はあるように思える。以前に本連載でも書いたように、昨今ではビデオゲームの物語やナラティブが注目され、アドベンチャーゲームというジャンルが再評価されている。その中にはチュンソフトの『極限脱出ADV 善人シボウデス』といった日本の作品も含まれている。

またインディーゲームでは、文字テキストによる表現が見直されつつある。映画的な表現を好むメインストリームのゲームジャンルへの反動、もしくは古典的テキストアドベンチャーとしてのインタラクティブ・フィクションの再評価という流れも手伝い、現在では日本国外でもビジュアルノベルが開発されている。

例えば、Christine Loveの『Analogue: A Hate Story』は批評家からの評価も高く、IndieCade 2012のファイナリストを獲得した。キーボードで仮想的なコマンドラインにプログラムを入力して、AIと対話しながら過去の事件の真相を明らかにするというゲームデザインは、ビジュアルノベルというより、テキストアドベンチャーに近い。しかし、そこで登場するAIは極めて日本的な2Dの立ち絵で表現されている。物語の内容はLGBTといったセクシャリティに関連したシリアスなミステリーである。

またDischanは、ハイクオリティなビジュアルノベルを制作している国際的な開発スタジオだ。iOS向けに開発された『Juniper’s Knot』は、1時間程度の小品だが、非常に洗練されたアートワークとサウンドが堪能できる。現在、制作中の『Cradle Song』は学園を舞台にしたオーソドックスな内容になっているが、開発と並行して各国語版のローカライズが進んでいるのが興味深い。Dischanはゲームの開発だけではなく、インディペンデントなビジュアルノベルのディストリビューションを行なっており、そのクオリティの高さに驚かされる。

また日本でも同人サークルのぜろじげんは、PlayStation Mobileでビジュアルノベルの世界同時配信を目指している。サークル代表のマサシロウ氏は海外のアニメ系カンファレンスやイベントに参加するなど、国際的な活動を行なっている。新作の翻訳も海外のファンと連携しながら行なっており、ビジュアルノベルという文化を支える草の根レベルの交流は積極的に行われているようだ。

このような現象を見る限り、グローバルな舞台におけるビジュアルノベルというゲームジャンルはまだ始まったばかりなのかもしれない。また、英語圏におけるインタラクティブ・フィクションという伝統もそこには接続されており、テキストを主体にしたビデオゲームが今後、発展する可能性は十分にある。またRen’Pyのような海外産のノベルエンジンが登場したインパクトは大きく、今後、英語圏では一層多くのビジュアルノベルが制作されるのは間違いないだろう。(紹介した『Analogue: A Hate Story』も『Juniper’s Knot』もこのエンジンで開発されている。)

文化が文化と呼べるものであるならば、それは商業的な成功とは別なところにもゴールがある。これらのクリエイティブな試みが言語の壁によって断絶されているとしたら、それは悲しいことだ。まだまだポピュラリティーが低いビジュアルノベルというジャンル。指をくわえて待っていればローカライズされるという発想は甘いだろうが、今後はファンも含めた国内外の交流を期待している。

2013年6月19日水曜日

PlayStation Mobileのという新しいプラットフォームとその行方

E3が無事に終わり、次世代のハード、ローンチタイトルなどが明らかになってきた。私はどちらかといえば、Xbox Oneにせよ、PS4にせよ、ハードやソフトよりもそのサービスに興味がある。大方の予想通り、Xbox Oneはホームエンターテイメントのハブ、PS4はよりゲーマー志向の専用機であることはほぼ確定だろう。

どちらのハードにせよ、その成功はネットワーク上のサービスをどう展開していくかにかかっていると思う。ゲームコンソールはこれまで製品をリリースした後は、主にデベロッパーとのやりとりが重視されていた。だが、これからは「サービス事業者」としての意識を持ってエンドユーザーの顧客満足度を向上させることが必要だ。つまり、これからの戦いの舞台は、Xbox OneとPS4という単なるハードウェアだけにはとどまらず、Xbox LiveとPSNというオンラインサービスにもあるというわけだ。

双方ともプレイ動画のストリーミングなど新しい機能を投入してきているが、微妙な方針の違いがある。Xbox OneがXbox Liveアーケードのゲームを切り離す一方、PS4には後方互換性はないものの、SCEには「すべてのプレイステーションのコンテンツの互換性をクラウドで実現する」という長期的な目標があるとされる。この「長期的な目標」がどの程度まで実現可能かはさておき、この面でMicrosoftとSCEの間には長期的な戦略の違いが見られるように思われる。

Microsoftは、ゲーマーからノンゲーマーまでXbox LiveのコンテンツをXbox Oneで楽しんでもらうことを想定しているのに対して、SCEは「プレイステーション」という大規模なサービスの一部としてゲーマー向けのハードウェアであるPS4 を位置づけているように思える。

そのようなSCEのクラウドサービスとしてのPlayStationという方向性は、2012年の7月にGaikaiを買収したときにある程度、決まっていたようだ。その後、Gaikaiの技術が具体的にどのように活かされているのかは明らかではないが、PS4のいくつかの機能に活かされているらしい。ともかく、SCEの方針としてクラウドゲーミングという方向性があるのは間違いない。

そして、オンラインが前提としたマルチプラットフォーム対応のクラウドゲーミングとは別な技術だが、現在、SCEが展開している中で、それに近い試みとしてPlayStation Mobile(以下、PSM)があげられる。

そもそもPSMとは何か?

一体、PSMについてどの程度、知られているだろうか?正直なところ、ゲーム業界に従事している人以外でPSMについて言及している人は見たことがない。メインのハードウェアがPS Vitaの普及度がまだまだであるため、PSMの存在自体まだまだ知られていないようだ。

もともとはPlayStation Suiteという名前で始まったこのプロジェクトは、様々な端末で「PlayStationの世界」を楽しめるようにするのが目的だ。PSMは現在のところ、PS Vita及び、PlayStation Certifiedという認証のあるAndroidデバイスでサービスが開始されている。有料のダウンロード型ゲームがメインであるが、ゲーム以外のアプリの配信も可能だ。現在、順調に配信タイトルを増やしているとは聞くが、PS Vitaの普及がまだまだであるため、知名度も開発者もコンテンツも少ないのが現状だ。

新規プラットフォームにおけるコンテンツ不足というのは、必然的な現象だ。SCEはPS4でもPSMでも、このプラットフォームの立ち上げ時のコンテンツ不足に対して、インディーデベロッパーを呼び込むという戦略を行なっているように思われる。もちろん、以前に書いたようにプラットフォーム立ち上げ時のクリエイター発掘という方向性は、「ゲームやろうぜ!」や「PlayStation C.A.M.P!」に見られるようにSCEのコンテンツ戦略の十八番ともいえる。

実際に、インタビューにおいてSCEJシニアバイスプレジデントの桐田富和氏は「ゲームやろうぜ!」に言及しながら、PSMがクリエイター育成のためのエコシステムであることを強調している。とはいえ、PS Vitaの普及率の低さや年間7980円かかるパブリッシャーライセンスがネックとなり、これまでインディーデベロッパーにとってPSMというプラットフォームがそれほど魅力的には思えなかった。

だがSCE側もそれらの問題を認識したのか、期間限定のパブリッシャーライセンスの無償化、インディーデベロッパーとの積極的なコミュニケーションを打ち出してきている。さらに、MicrosoftがXbox Oneにおいて、インディーゲームを含めてこれまでのXbox Live向けのコンテンツを切り離し、開発環境であったXNAを終了したことも手伝い、インディーデベロッパーにとってにわかにPSMは魅力的なプラットフォームとして浮上している。

インディーデベロッパーから見たXNAとPSMの比較については、先日行われたIGDA日本のSIG-Indie(同人・インディーゲーム部会)における佐川氏の報告を記事を参照して欲しい。開発環境としてのPSMはまだまだ未開拓な部分が多いが、アプリの審査や卸売という販売方法などはインディーデベロッパーにフレンドリーな部分が多いといえる。

またこの勉強会では、パブリッシャーライセンスの無料期間の延長の可能性、インディーデベロッパーのためのイベントの開催予定など、SCE側はインディーゲームに積極的な姿勢を示している。PSMが2000年代後半にXNAやXbox Liveインディーズが担った役割を果たす可能性も少なくないだろう。個人的にもPlayStationというプラットフォームに対する興味は高くなり、今後も注目していきたい。

一方で、現状のPSMが抱える重要な問題点も浮き上がってきた。それはPSMが目指すものが、クラウドゲーミングのようなマルチプラットフォームなのか、クリエイター発掘のためのオープンプラットフォームなのか、いまいちはっきりしないことである。これは先ほどの桐田富和氏のインタビューにも表れており、一方ではクリエイター発掘を謳い、他方では多様な端末で同一のコンテンツを楽しむことを目指している。

しかしながら、SIG-Indieに参加した開発者たちの多くは、Androidで自分の制作したゲームが動くことよりも、PS Vitaで動くことを重視している。開発者としては多種多様なAndroid端末への対応を求められるよりも、最新スペックの専用機で自分のゲームが動くことの方が魅力的なのだろう。他方、SCE側としては様々な端末で「PlayStationの世界」を楽しんでもらい、プラットフォームとして拡大することを望んでいるのであろう。

もちろん、様々な端末に対応することとクリエイター発掘が両立しないわけではない。とはいえ、多様なAndroid端末への対応に追われ、ゲーム開発や流通のプラットフォームとしての魅力が下がるようなことだけは避けてほしいところだ。そのためには、多様なデバイスへの対応というクラウドゲーミング的な方向性とクリエイター発掘という方向性のどちらに重点を置くかをはっきりさせることが肝心になってくるだろう。

2013年6月6日木曜日

UIにおけるファインアートとしてのビデオゲーム

フラットデザインが流行っている。主にウェブデザイン業界の話であるが、次期iOSのデザインもフラットデザインを採用するという噂が流れており、エンドユーザーにとっても関心がある話題だろう。

「フラットデザインとは何か?」という話題が、昨今のブログで賑わっている。悲しいことにほとんど誰もXbox 360に触れてくれない。普通の日本人にとってXbox 360は馴染みのないゲームハードかもしれないが、昨今話題のフラットデザインの一つの明白な起源のひとつはXbox 360のダッシュボードである。

日本では2011年12月6日にアップデートされたXbox 360のダッシュボードは、「Metro UI」と名付けられていた。近々アップデートが噂されているが、このダッシュボードは現在も使用されており、私はそのデザインには愛着を持っている。このMetro UIは、その後のWindows PhoneやWindows 8のデザインの起源となったが、マイクロソフトのちょっとした不手際の結果、現在は「Modern UI」という呼称が用いられている。

スキューモフィック VS フラット

フラットデザインに関しては、賛否両論持ち上がっているが、私個人は好みである。Appleが推し進めてきたスキューモフィックデザイン(現実に似せたデザイン)の行き過ぎに対する反動から、フラットデザイン擁護者はそのシンプルさを訴えている。他方、スキューモフィックデザインの擁護者は、現実のオブジェクトや道具に似ていることによる利便性や使い勝手の良さを訴えている。

私はそもそも認知科学におけるアフォーダンスの議論をコンピュータUIに流用するという発想自体に懐疑的であるため、スキューモフィックデザインによって、利便性が高まるという主張にはあまり納得できない。さらに後述するが、究極的には現代のOSやアプリケーションなどのUIは既に使い勝手や利便性のためだけに存在しているではないと考えている。

フラットデザインの批判者の多くは、その使い勝手の悪さにケチを付けるのであるが、果たしてこれまでのOSやアプリケーションのUIがスキューモフィックであることによって、使い勝手が良かったことなどあっただろうか?ほとんどは慣れの問題である。見慣れたアイコン、見慣れたUIが使い勝手としては究極的には良いと思う。

Appleが推し進めてきたスキューモフィックデザインも使いやすさという言い訳があったにしろ、その大部分が単なるトレンドであったように思える。iPhoneのレコーダーアプリにコンデンサーマイクのような画像を表示するのは、確かに目新しかったが、便利と感じたことは一度もない。現実の質感に似せるためにシャドウやグラデーションを駆使するのは、デザイナーとしての腕の見せ所であったかもしれないが、正直、もうウンザリという気分だ。

スキューモフィックデザインが時代遅れに感じた個人的なエピソードがある。人気カメラアプリのインスタグラムのアイコンの変化だ。2011年に行われたアップデートでインスタグラムのアイコンは、ブラウンの落ち着いたフラットなデザインからカメラのレンズが飛び出すようなスキューモフィックなデザインに変化したのだ。

おそらく、投資家やマーケティングの判断であろう。今からしてみると、時代に逆行する変化であり、個人的にはアイコンがダサくなったと感じた。「写真」というメディアをスマートフォン時代に再解釈したインスタグラムというアプリは素晴らしいものだと思うが、インスタグラムが与えてくれる体験は、旧来のゴテゴテしたカメラで撮影する経験ではなく、もっとライトでフラットなものであったはずだ。

このように私個人としては、2011年の段階で、スキューモフィックなデザインに飽きていたし、同時期に登場していたWindows PhoneのUIには惹かれていたし、Windows8にも比較的楽観的だ。もちろん、機能的に考えると、慣れない部分はあるだろうが、新しいインターフェイスは新しい体験を与えてくれる。オフィス用のPCはともかく、パーソナルなデバイスのスマートフォンやタブレットにはそういった新鮮な体験を私は求めているのだ。

UIのトレンドを牽引するビデオゲーム

話がゲームから大きくそれたが、ここで現在のフラットデザインが普及したきっかけがXbox 360にあったことに目を向けてみよう(残念ながらWindows Phoneは普及したとは言えなかった)。Xbox 360が大胆なフラットデザインにも関わらず、多くの人々に受け入れられたのは、それがゲームのための、エンターテイメントのためのUIだったからだと思う。エンターテイメントのプラットフォームとして、利便性以上に新鮮な体験を演出できたのが、Xbox 360におけるフラットデザインの成功だったように思える。

衣服が既に利便性のためにあるわけではないのと同様、OSやアプリは利便性のためにだけあるのではない。App Storeにおけるゲームやエンターテイメントアプリの多さを考えれば当然だが、人々は便利さよりも楽しさ、新しさを求めている。そして、ビデオゲームはそのようなアプリケーションの中でもっとも制約が少なく自由に創作できる芸術なのだ。逆に言えば、ビデオゲームとは、純粋にインタラクティブなだけのUIとも言える。

よって、これからのパーソナルコンピュータやモバイルコンピュータのUIにとって、ビデオゲームは最も重要なアプリケーションだ。そこでは「機能性」や「利便性」といったことに囚われることなく、自由にUIの実験ができる。もちろん、その中には普通のアプリに取り入れようとは思えないバカげたものも多いだろう。しかし、ハイファッションが既製服に、ファインアートのデザインがコマーシャルなデザインに影響を与えるように、いくつかのビデオゲームのトレンドはUIに影響を与えると思う。UIやWebのデザインはより自由になり、トレンドや好みによって個々人が着飾るように選択する時代はそう遠くないと思っている。