2013年5月31日金曜日

Is Kickstarter just a hype? (PART3)

前回のコラムから大分、期間が開いたが、今回でクラウドファンディングの話に一旦ケリをつけたい。先週から筆者は京都の立命館大学で行われた国際日本ゲーム研究カンファレンスに出席していたが、そこでも北米のゲーム研究者たちとKickstarterの話題になった。

ゲームを研究するような人々が集まっていたわけなので、当然、ほとんどの人々がKickstarterでなんらかのプロジェクトに出資していた。「俺はあのプロジェクトのbacker(出資者)なんだ」と自慢話が始まり、最後には“We are all backers!”と謎の連帯感が生まれた。こういったオフラインのコミュニケーションもクラウドファンディングの楽しさの一部だろう。

さて今回は、実際にKickstarterなどのクラウドファンディングにおいて、新米クリエイターや新興デベロッパーが資金調達に成功している事例を紹介したいと思う。さらにオリジナルなタイトルがクラウドファンディング発で生まれ、すでにいくつかの成功例が登場していることを指摘したい。

Kickstarterがビデオゲームに果たした輝かしい功績を見るならば、手っ取り早くこのブログエントリーを見るとよい。2013年の3月21日付のこの公式ブログによると、Kickstarterでゲームのプロジェクトに集まった資金は累計1億ドルを突破している。さらにKickstarterで資金調達に成功したゲームで既に遊べるものがリストアップされている。

FTL (Faster than Light)、Kentucky Route Zero、Organ Trail...とインディーゲーム好きなら、誰でも知っているゲームが並んでいる。そして、それらのゲームはIGFやPAX、IndieCadeといったフェスティバルでアワードを勝ち取り、十分に評価されているのだ。

これだけでも十分にクラウドファンディングを通して新しい才能、新しい作品が世に輩出されているのが理解できよう。つまり、「クラウドファンディングはベテランクリエイターの引退後の食い扶持だ」といった主張は端的に間違っているのだ。

それらの誤解は著名なクリエイターや人気作の続編ばかり話題にするマスメディアによってよりいっそう助長される。なので、ゲームを愛する人、クリエイティブな表現を愛する人には、一度、自分の目で面白いプロジェクトがないか探してみてほしい。それでワクワクしない人は、自分の好奇心の衰えを心配したほうが良い。

さらにただ見ているだけではなく、少額でも良いのでぜひとも出資してみてほしい。Kickstarterでは、プロジェクトオーナーたちは頻繁に情報をアップデートする。そこではファンディングや開発の現状報告だけではなく、他のプロジェクトへの支援も呼びかけられる。結果、出資したプロジェクトのアップデートを通じて他のプロジェクトのキャンペーンを知ることも非常に多い。

実際に私は以前、紹介したCRYAMORE! というJ-RPGのプロジェクトに出資することで、C-Warsというプロジェクトを知った。このプロジェクトはCRYAMORE!と同様に、日本のゲームに強く影響を受けている。日本のアニメ風のキャラクターデザインと滑らかに動くドット絵が魅力的だ。そしてデベロッパーのOnipunksは、なんと北京のゲームスタジオなのだ!

フランスでゲーム開発を学び、本作ではオリジナルのゲームエンジンを手がけるリーダーのLoup Zhou、まさにドット絵狂い(pixel junkie)と言うべきアートディレクターのLouiky Muなど、合計6人のチームメンバーはとても若い。キャンペーン用のPVも非常にエネルギッシュ。北京というアジア圏からこのような若い才能が出現してきたことには、心底エキサイティングだ。

このように実際にクラウドファンディングでデビューする若い才能は十分に存在している。そして、そのプロジェクトが期待できるものならば、確実に資金は集まっている。画像、映像、音楽と多数の素材が必要なビデオゲームは、それらの素材を逆にプロモーションに利用することで資金を集めやすい。たとえクリエイターが無名でも、魅力的なキャラクター、魅力的な世界観を提示することができれば、資金は調達可能だ。

現状はビデオゲームのプロジェクトはKickstarterを中心に盛り上がっている。Kickstarterでは、日本から直接プロジェクトを投稿することができないため、その盛り上がりはイマイチ伝わってこない。しかしながら、それも時間の問題だと思われる。

前回、書いたように、インターネットを通してクリエイティビティに直接資本を投下するこのモデルは、デジタル時代のコンテンツ産業の究極形態のひとつである。そして、それが確かに効果を発揮すると私は確信している。日本からは同人ゲームの『九十九神』老舗同人STGサークルのSITER SKAINの三部作のローカライズのプロジェクトがファンドに成功している。(両者とも海外のローカライズ会社が主導している。前者に関してはインタビューで詳しい話をうかがった。

さらに国内のクラウドファンディングでは、黒川文雄氏が率いる『モンケン』がCAMPFIREで目下、資金調達に挑戦中だ。またCAMPFIREでは先日、『リゼットの処方箋』と呼ばれるゲームプロジェクトが開始された。著名なクリエイターは関わってはないが、水彩画風のビジュアルでポイント・アンド・クリックのゲームに挑戦するというなかなか野心的な企画だ。これらのプロジェクトの資金調達が成功するかどうかまだわからない。だがクラウドファンディングを通して、創造力の炎が日本でも燃え上がろうとしているのだ。

結論として、クラウドファンディングではベテランクリエイターや人気作の続編にしかお金が集まらないというのは単なる杞憂だ。もちろん、知名度が果たす役割は大きく、多額の金額が集まるのは確かにベテランクリエイターが関わったものだ。しかしながら、クラウドファンディングは確実に新しい才能を世に輩出している。そして、この流れが日本にも訪れることは時間の問題だ。Kickstarterは決して単なるハイプではなかったのだ。

2013年5月15日水曜日

Is Kickstarter just a hype? (PART2)

前回の予定通り、今回(とさらに次回)はデジタルなコンテンツにおけるクラウドファンディングの有効性について考察したい。物理的な製品に関するクラウドファンディングの有効性に私は限界を感じている。では映画や音楽、そしてビデオゲームといったデジタルなコンテンツに関してはどうだろうか?WIRED誌風に言うならば「アトムのクラウドファンディング」に対して「ビットのクラウドファンディング」はイケているのか?

デジタルであることのメリット

私の結論から言わせていただくと、ビットのクラウドファンディングはすごくイケている。ごくシンプルな問題として、物理的な製品と異なり、デジタルコンテンツはサプライを心配する必要がない。原材料はクリエイターの生活費だ。デジタルコンテンツは還元すればクリエイティブなデジタルデータであり、それを売買するというのは、物体に金を費やすことではなく、個人や手段のクリエイティビティに金を費やすことである。さらにデジタルコンテンツには在庫リスクが少ない。せいぜいサーバー運用費くらいだ。アップデートのコストも圧倒的に低く、リリース後に品質を向上させることは容易である。

サプライとアップデートの容易さ、在庫リスクの低さというこれらの3点だけでも、ビットのクラウドファンディングのメリットは明白だ。インターネットを通して個人や集団のクリエイティビティに対して直接資本を投下して、デジタルなデータを得る。ほぼオンライン上のデータのやりとりだけで完結するビットのクラウドファンディングは、デジタル時代のコンテンツ産業の究極形態のひとつだろう。

もちろんテクノロジーの発達によって、アトムのクラウドファンディングがこれらの利点の多くを獲得する時代は来るかもしれない。だが現状のサプライチェーン・マネジメントや3Dプリンタでのプロトタイピングを鑑みても、フィジカルな製品開発が抱えるデメリットはまだまだ大きい。スタートレックに登場するレプリケーターを夢見る人々がいるのは理解できるが、10年代は素直にビットのクラウドファンディングだけで良しとしたい。

しかしながら、これ以上何があるというのか! フィジカルな製品に比べると、デジタルコンテンツのためにクラウドファンディングを利用するメリットは明白だ。だがそれらのメリットを指摘しても、クラウドファンディングに関する懐疑的な意見は依然としていくつかある。以下では、そのような懐疑的な意見のいくつかを検討し、それでもなおデジタルコンテンツのためにクラウドファンディングを利用することのメリットを説明したい。またボリュームが多くなったため、次回もう一度、クラウドファンディングとKickstarterのビデオゲームのプロジェクトについて扱うことにする。

有名クリエイターに群がる高額出資、だがそれのどこが問題か?

差し当たり盗作や詐欺といったクラウドファンディングに関する一般的な問題点は無視しよう。それらはアトムでもビットでも同様に起こりうるリスク要因である。Kickstarterなどのクラウドファンディングサービスはプロジェクト起案者や出資者たちにそれらのリスクを周知することに努めており、ある程度の部分はユーザー一人一人の自己責任に帰される。金銭以外の報酬が約束されるリワード型のクラウドファンディングであっても、それが未来の製品に対する投資であることは変わりなく、出資者は自らのリスクを理解する必要はある。

そのようなものを別とすれば、Kickstarterに対する批判の一つとしてしばしば散見されるのは、高額な資金調達に成功しているのが、既存の有名なベテランクリエイターばかりだという意見だ。確かにティム・シェーファーが率いるDouble Fine Adventureやピーター・モリニューが率いるProject GODUS、さらにロード・ブリティッシュことリチャード・ギャリオットのShroud of the Avatarに至っては「ウルティマの精神的な後継者」という触れ込みでKickstarterで多額の資金を集めている。

このようなKickstarterの現状に対して、冷笑的に「クラウドファンディングはベテランクリエイターの引退後の食い扶持だ」という意見も聞かないわけではない。また既に人気があったゲームの続編も次々に高額の資金調達に成功している。例えば、Revolution Softwareの人気アドベンチャーシリーズのBroken Swordの新作やクラシカルなRPGの名門デベロッパーObsidian Entertainmentの新作 など。

このようなKickstarterの現状を見て、クラウドファンディングが新米クリエイターやオリジナルタイトルの発信地になっていないことを批判的に語る人は少なくない。私自身も過去にそういった意見を述べている。だが、この批判的な意見はKickstarterが爆発的に普及した現在には当てはまらない。次回、紹介するように、実際にはKickstarterを中心とするクラウドファンディングはオリジナルタイトルや新人のキャリアアップにつながっているのだ。

とはいえ、以上のようなベテランクリエイターや人気作品の続編にクラウドファンディングに資金が集まるからといって何が問題だといえるのか?そもそも、これらのプロジェクトにはパブリッシャーが資金を出すことを渋ったために、クラウドファンディングを利用したケースが多々ある。現状の肥大化したゲーム産業では実現しにくいプロジェクトにお金が集まっているならば、それはそれで良いことであるはずだ。

もちろん、中には出来レース的なクラウドファンディングも存在し、それらは資金調達というよりも、実際にはプロモーションの一環である。流行の方法でゲームを制作しましたというだけのものもあるだろう。しかしながら、Kickstarterで高額な資金を集めたゲームのジャンルの多くは、アドベンチャーやクラシックなRPGだ。それらのジャンルは現在のゲーム産業ではニッチであり、パブリッシャーが資金を渋っているため、クラウドファンディングで資金調達を行なっているのだ。

確かにベテランクリエイターや人気作品の続編には高額な資金が集まる。とはいえ、誰もクラウドファンディングを通して、CoDやGTAのようなAAAタイトルに支援しているわけではない。そういった意味では、クラウドファンディングがゲーム産業のオルタナティブな市場を作っていることは間違いない。新人やオリジナルタイトルに十分な資金が回って来ないという事実があるならば、ともかくとして、現状、「有名作品、有名クリエイターにばかり資金が集まる」という批判は的外れなものだと思える。

コンテンツ産業において、マーケティングを重視するパブリッシング部門と、独自性や表現欲求を重視するクリエーション部門が対立することは非常に多い。この対立は「金か芸術か」という安直な二項対立で議論されることが多かったが、クラウドファンディングとはこの二項対立における安全弁の役割を果たしているといえる。つまり、ニッチなジャンルであっても、クラウドファンディングを通して直接、ユーザーに呼びかけることで、ビジネスとしても成立するプロジェクトがあるのだ。

つまり、たとえベテランクリエイターや人気作品に資金が集まるとしても、ユーザーが支持する限り、クリエイターがプロジェクトの主導権が強くなっているのは間違いない。それは創りたかったものを創れるようにするクラウドファンディングという手法のあるべき姿であり、何ら批判すべき問題ではないのである。

次回は、この手の批判がそもそも誤解であることを説明する。実際に、Kickstarterなどのクラウドファンディングにおいて、新米クリエイター、新興デベロッパーが資金調達に成功している事例を紹介する。さらにオリジナルなタイトルがクラウドファンディング発で生まれ、すでにいくつかの成功例――資金調達の成功という意味ではなく、クリエーションとしての成功――があることを指摘したい。

2013年5月9日木曜日

Is Kickstarter just a hype? (PART1)

先日、開催された黒川文雄氏が主催する第八回目の「黒川塾」は、クラウドファンディングがテーマであった。詳細は私が取材した記事をご覧になっていただけると幸いだ。だが、国内4社のクラウドファンディング事業者が一堂に会した貴重な機会ではあったが、そこまで突っ込んだ議論は行われず、やはり日本でクラウドファンディングが根付くにはまだまだ時間が必要だと感じた。

私はこの他にも国内で開催されたクラウドファンディング関係のイベントには足を運び、コンテンツ産業におけるこの手法に対しては高い関心を抱いている。そして、Kickstarterを中心として海外で盛り上がっているこの現象と、日本の現状の温度差に少なからずフラストレーションを抱いている。

しかしながら、このムーブメントに遅参することは必ずしも悪いことではない。というのも、昨今のクラウドファンディングの盛り上がりは勢いがあるものの、それが健全な資金調達のモデルであるかどうかには懐疑的な意見も多いからである。

既にKickstarterで結構な額の出資を行なっている自分が言うのもなんだが、目標金額の到達を持って「プロジェクトの成功」と報じるメディアには疑問を感じる。「プロジェクトの成功」とは、プロダクトが出資者たちに届いて、概ね満足が得られた後に判明する事柄である。現状、「クラウドファンディングの成功事例」のほとんどが単なる資金調達の成功にとどまっており、そんなものは少なくとも消費者にとっての成功ではないのである。

個人的にはKickstarterがビデオゲームの資金調達のモデルとして決定的なものになるかどうかは、歴代の資金調達額5位となるティム・シェーファーによるアドベンチャーゲームのプロジェクトの完成によって決まるだろうと思っている。先日、公開された公式サイトによると正式タイトルが『Brocken Age』決まり、ベータ版のアクセス権を含めたプリオーダーが始まっている。

私個人としては、クラウドファンディングを通してインディペンデントなクリエイターを支援できるような環境が日本においても育つことを祈っている。そのためにもこれら海外の状況を批判的に検討することで、コンテンツ産業にとっての健全な環境を作っていくことが必要だろう。そこで今回と次回の本連載では、Kickstarterを中心として盛り上がるプロジェクトを反省的に検討した上で、クラウドファンディングの今後について考えてみたい。

批判的レビューが集中したOuya

物珍しいものにはとりあえず冷水をぶっかけるという人間は、いつの時代にも存在する。もちろん、そういった冷めた人間が果たす役割も人類の進歩にとって重要である。なので、Kickstarterのローンチ当初からその手法の危険性や一過性に警鐘を鳴らしてきた人がいたことは当然だし、実際にプロジェクトによって作られたプロダクトの品質が悪かったならば、歯に衣着せぬレビューは必要だろう。

なかでも、先ごろ出荷された「次世代コンソール」のOuyaの品質に対しては、批判的なレビューが集まった。メーカー側はこれらのレビューは、一般向けに販売される製品ではなく、出資者に届けられた先行バージョンであることを強調して、実際の製品の品質向上に努力すると言っている。

また、これらの批判的なレビューと共に、クラウドファンディングやKickstarterに対して批判を向ける人もいる。中でもフォーブス誌に掲載されたErik Kain氏の記事は「それ見たことか!」と言わんばかりの論調で「アウチッ!Kickstarterの支援者はOuyaの資金調達に手助けしただけではなく、彼らはそのシステムの誇大広告ジェネレーターでもあったのだ」と述べている。「アウチッ」のくだりは「Ouya」にかけた冗談だろうが、Kain氏は以前からOuyaを中心として盛り上がったKickstarterに関しては批判的な態度を取っていた。

Ouyaの初期ロットの品質の評判は、実際の出資者の声を聴く限りに確かに良くない。ただ、このことをもってKickstarterやクラウドファンディング自体を批判するならば、それは少々お門違いだろう。というのも、Ouya以前からクラウドファンディングで盛り上がるハードウェアやガジェットのプロジェクトには批判的な声が多かったのである。

2012年の夏に行われたOuyaのKickstarterのキャンペーン以前に、GizmodoのJoe Brown氏は“We're Done With Kickstarter"という記事の中で、Kickstarter発のガジェットにはもうほとほと飽きたと述べている。また2012年の9月には、TechCrunchでは「Kickstarterの陳腐化を示すiPhoneケーブル」が紹介されている。どちらの論旨も似たようなもので、クラウドファンディングでガジェットに出資することのバカらしさについて述べられている。

これらの記事からは、テック系記者にありがちな浪費自慢の匂いが強く、一般の人の感覚とはズレが大きいだろう。そもそも表現的、創造的なコンテンツと異なり、ガジェットやハードウェアに求められるのは利便性である。利便性を実現するのは、単純なアイデアだけではなく、材料や部品のサプライ、スムーズな流通など様々な条件を要する。

そのため、ガジェットやハードウェアの制作は小規模に行うのは困難である。製造業は規模の経済が強く働くため、同一の商品を大量生産するほうが品質も良くなるし、価格も良くなるのは当たり前だ。クラウドファンディングにおけるガジェットやハードウェアのプロジェクトの盛り上がりがハイプであったとしたならば、日本で概ね好評に迎えられたクリス・アンダーソンの著作『メイカーズ』もハイプだろう。

だから、一般人がクラウドファンディングでガジェットのプロジェクトに期待するのは間違っている。あくまでもニッチな需要に応えるためにニッチな製造を行なうのがクラウドファンディングのメリットである。その実用性の無さを誇りに思えるような人であるならば、出資すれば良いのだ。

この点からOuyaなどのゲームに関するハードウェアのプロジェクトを振り返ってみれば、その盛り上がりは少々、過剰になったことは否定できないだろう。本来ニッチであるべき製品がメインストリームなものとしてみなされたわけであるからだ。

似たような過程をAndroidベースのコントローラー型コンソールのGameStickが辿っている。Ouyaの酷評が続いたタイミングで、GameStickのリリースの時期が遅れることが報じられた。その理由として、メーカーは「クラウドファンディングで成功した結果の犠牲である」と語っている。要するに予想を超える受注数に対してサプライ側が対応できずに、出荷に遅れが出ているのだ。

断定はできないが、Ouyaの酷評がGameStickのメーカー側に影響を与えたと考えることもできる。クラウドファンディングで先に出資をしてくれた人に低品質な製品を与えるならば、出荷を遅らせてでも品質向上に尽力する方が良いので、GameStick側の判断は妥当だろう。

いずれにせよ、サプライや流通の問題から機能性や信頼性を求められるハードウェアでは、クラウドファンディングはそれほどメリットを持たない。物理的な製品は、出荷した後のアップデートでも時間や費用がかかることも無視できない。なので、私は物理的な製品に関してはクラウドファンディングの有効性には非常に懐疑的だ。

では、デジタルなコンテンツではどうだろうか?ゲームや映画、音楽ならば、クラウドファンディングは有効に機能するのか?次回はハードウェアやガジェットではなく、デジタルコンテンツにおけるクラウドファンディングやKickstarterについて考察したい。