2013年3月8日金曜日

クリエイター発掘というSCEのコンテンツ戦略の過去と未来(PART1)

2月20日、ニューヨークで行われたPlayStation Meeting 2013においてPlayStation4の発表が行われるやいなや、日本では飯野賢治氏の訃報が流れた。PlayStation向けに開発を進めていた『エネミー・ゼロ』を、SCE主催のイベントでセガサターン向けに変更するという前代未聞のプロモーションをした飯野氏だけあって、何かの因縁を感じずにはいられない。

ただこのようなクリエイターのスタンドプレイが発生したことは、ソニーグループのコンテンツ戦略において、ある程度想定された自体でもあった。今回、PlayStation4の発表と飯野氏の逝去を契機として、ソニーグループのコンテンツ戦略のあり方について二回に渡って振り返ってみよう。

レコード会社から始まったSONYのコンテンツ事業

SCEではなく「ソニーグループのコンテンツ戦略」と書いたのには理由がある。ソニーは本来、AV機器メーカーであり、世界規模の大手電機メーカーである。オーディオ機器メーカーとして出発したソニーが、最初に手を出したコンテンツ事業は当然、レコード会社であった。1968年にCBS・ソニーレコード株式会社(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)として設立された音楽部門は、戦後初の日本のレコード会社であり、レコード会社としてはかなり若い。

米CBSとの合弁会社であったCBSソニーは、コロンビア、ビクター、ポリドール、キング、テイチクといった戦中を生き残った日本のレコード会社と比較すると、音楽制作事業のノウハウはほとんどなかったと言ってよい。そのため、米CBSの原盤を利用する形で日本市場で主に洋楽を売り込んでいった。CBSソニーの初のヒットレコードとして知られるのは、1968年にリリースされたサイモン&ガーファンクルによる映画『卒業』のサウンドトラックだ。

70年代の日本市場における洋楽ロックのヒットの裏にはCBSソニーがあった。特にエアロスミス、チープ・トリック、クラッシュといったロックバンドを、積極的に国内に売り込んだ洋楽ディレクターの野中規雄氏の活躍は語り継がれている。アメリカでは当時、無名であったロックバンド、チープ・トリックを日本の武道館でライブ・レコーディングを行い、アルバム化した『チープ・トリックat武道館』は全世界でヒットした。さらに海外のアーティストに「ブドーカン」の存在を知らしめた。

つまり、当時のCBSソニーの洋楽ディレクターは、単に米CBSの音楽コンテンツを輸入するだけに留まらず、海外コンテンツの「ローカライズ」や「カルチャライズ」を行なっていたといえよう。これら野中氏の活躍は和久井光司氏による評伝『「at武道館」をつくった男』に詳しく描かれている。海外コンテンツの国内輸入といった普遍的な課題の参考になるため、興味を持った方はぜひとも読んでみてほしい。

一方、邦楽部門の最初のリリースはフォーリーブスの両A面シングル『オリビアの調べ/壁のむこうに』。ジャニーズ事務所に所属しするグループサウンズのフォーリーブスは、アイドル的な人気が高かった。また洋楽レーベルであるEPICソニーから浅田美代子や麻生よう子といった新人をヒットさせ、他のレコード会社に先駆けてアイドル路線というジャンルを確立した。

この邦楽部門の躍進は、レコード会社として自ら新人発掘オーディションを行なうという美談として語られることが多い。だが、EPICソニーの設立者であり、PlayStationの開発にも大きく関わった丸山茂雄氏に言わせれば、まだ若い会社であったCBSソニーは既存のアーティストやミュージシャンと契約できなかったことが、何よりもの理由だと話している。結果として、歌手としてのキャリアが浅い新人を発掘してデビューさせるという路線が採用されたのだ。浅田美代子に至っては、そのセールス的な成功にも関わらず、歌唱力は低いとバカにされていた。

だがこのEPICソニーの新人発掘路線は、80年代に実を結び、その後の日本の音楽に大きな功績を残した。「ロックの丸さん」として知られる丸山茂雄氏は、THE MODS、佐野元春、TMN、DREAMS COME TRUEといった数々の才能のあるアーティストを輩出。新人発掘と自社原盤の制作に力を入れ、「洋楽っぽい日本の音楽」という現在のJ-POPの流れを生み出す源流となっている。

PlayStationにおける新人発掘路線

CBSソニーは91年にソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)と社名を変更、93年にソニーの技術者と共に家庭用ゲーム機とそのコンテンツの開発・販売を行うソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を設立した。これらPlayStation開発の経緯やエピソードはよく知られたものであるため、ここでは詳述しない。

着目すべき点は、このPlayStation計画にゴーサインを出したのがCBSソニーの初代社長であった大賀典雄氏であり、SMEの会長であった小澤敏雄氏がSCEの社長を務め、EPICソニーで新人アーティストを輩出してきた丸山茂雄氏が副社長を務めたことだ。PlayStationと言えば、技術者から経営者へと転身した久夛良木健氏の功績が大きく語られるが、SCEの設立時のメンバーの多くは音楽コンテンツ事業の出身者でもあったのだ。

よって、PlayStation事業においてもソニーの音楽コンテンツ事業が持っていた「新人発掘路線」は強く打ち出されている。具体的には、アマチュアからクリエイターを発掘するため、一般向けの開発環境「ネットやろうぜ!」を販売、さらにプログラミングなどができないクリエイターにも「ゲームやろうぜ!」というオーディションを企画していったのである。

「ネットやろうぜ!」、「ゲームやろうぜ!」という企画のタイトルが、日本のバンドブームを盛り上げた音楽雑誌「バンドやろうぜ」のもじりであることは明白だ。70年代後半からの日本のバンドブームでは、オーディションを勝ち抜いたバンドやアーティストがレコード会社と契約するというモデルが成立していた。このようなオーディションモデルは、単なるコンテンツ供給手段だけではなく、「普通の若者でもアーティストやクリエイターになれる」という夢を人々に与えることで、マーケティングの役割も同時に果たしている。

もちろん、超巨大企業であるソニーグループがこういったコンテンツ戦略の方針を明確に抱いているかといえば、そうではない。だが、実際にソニーグループのコンテンツ事業に従事した人物は音楽業界とゲーム業界を股にかけた活躍を行なっているため、自然とそのような発想で事業に取り組んできたと考えることは妥当だ。

PlayStation4発表後、メディアはハードウェアのスペックに話題を集中させているが、SCEのソフトウェア、つまりはコンテンツ事業に焦点を当てた分析は相対的に少ない。そこで次回はこのSCEの新人発掘路線をもう少し詳しく見るとともに、その功罪を考察、さらにはコンテンツ産業の従事者やクリエイターの特殊性について触れ、PlayStation4の将来を占ってみたいと思う。