2013年3月28日木曜日

クリエイター発掘というSCEのコンテンツ戦略の過去と未来(PART2)

PlayStation Meeting 2013に引き続き、3月25日から行われているGDCでもPS4に関する情報がリリースされている。ハードウェア関係で大きなニュースはないが、やはりSCEがインディーゲームをコンテンツとして重要視しているのは間違いない。個人的に一番驚いたのは、PlayStation Meeting 2013でJonathan Blow氏の『The Witness』が、コンソール機の中ではPS4の独占販売となったというニュースだ。『Braid』という傑作を生み出し、インディーゲームの世界で尊敬を集めるBlow氏にSCEがいったいいくらの金額を提示したのかは分からないが、ともかくインディーゲームに尽力を注ぐ姿勢自体はかなり本気なのだろう。

前回のコラムで触れたBitsummitをめぐる「日本のインディーゲーム」の動向、ソニーの取締役会議長ハワード・ストリンガー氏の退任、任天堂のWiiUの売上不振など、ゲーム業界の動向はまだまだ波乱に満ちている。予測不可能である業界だからこそ、過去を冷静に見つめ、将来を見通す必要がある。そこで今回は予定どおり、SCEの新人発掘路線について振り返ってみたいと思う。

クリエイターに焦点を当てたプロモーション

PlayStationが誕生する以前の日本のコンソールゲーム業界では、クリエイターの名前の多くは伏されていた。その理由は他説あるが、クリエイターの引き抜きを嫌った会社が個人名を表に出さなかったというのが通説だ。理由はとにかく、そのような業界の慣習の中、新規参入者であったSCEはクリエイターに大きく焦点を当てたプロモーションを行なってきたことはよく知られている。

昨年の2月に行われた『ニコニコ生放送』内の丸山茂雄氏の公式チャンネル『mf247』の番組では、PlayStationの生みの親である久夛良木健氏がこの辺りのことに触れている。映画が趣味である久夛良木氏は、日本のゲーム業界では詳細なスタッフクレジットを表記する慣習がなかったことに驚いたそうだ。そのため、SCEは取扱説明書にスタッフクレジットを表記したり、PlayStation Awardsと呼ばれるSCEの行なうイベントでクリエイターを大体的に表彰したり、クリエイターに焦点を当てたプロモーションを行なってきた。

これらの戦略が音楽業界の経験者である丸山氏を中心としたスタッフで進められたことはまず間違いない。昨今、メディアに登場する機会が多くなった丸山氏は謙遜しつつ、何も特別なことをしてきたわけではないと強調する。だが一方で「ミュージシャンは六本木で女の子に名前を出すとキャーキャー言われるが、ゲームクリエイターは言われない。君たち(クリエイター)も女の子たちにモテたくはないのか」とデベロッパーをプラットフォームに勧誘してきたことも認めている。

この点に関しては、私が取材した黒川文雄氏が開催した「黒川塾(弐)」の記事も参照していただきたい。この中で黒川氏が述べているように、PlayStation事業におけるSCEの取り組みは、単なるハードウェアの開発やソフトウェアの制作・流通だけではなく、クリエイター発掘という点においても特筆すべきものであった。実際に初期のPlayStationのクリエイターの中には、『パラッパラッパー』のキャラクターデザインを務めたロドニー・グリーンブラットなど、ゲームというメディア以外でも話題になる人物が存在した。

いずれにせよ、PlayStation事業でゲーム産業に乗り出したSCEが、これまでの業界慣習にとらわれず、映画や音楽といった既存コンテンツ産業におけるノウハウをゲーム産業でも活かしたことは間違いない。その中でも新人発掘として行った「ゲームやろうぜ!」と「PlayStation C.A.M.P!」というオーディションモデルの戦略は、今後のPS4の行き先を見つめる上でも、「日本のインディーゲーム」を考える上でも触れておくべきものである。

「ゲームやろうぜ!」から「PlayStation C.A.M.P!」:新人発掘のオーディションモデル

ソニーグループ初のコンテンツ部門であるCBS・ソニーが、日本のレコード会社としてはかなり若く、コンテンツ供給のために、新人発掘路線を大きく打ち出したことは前回のコラムでも触れた。PlayStationによってゲーム業界に参入したSCEにとっても、状況はまったく同じだった。既存のデベロッパーやパブリッシャーだけでは、コンテンツ供給が間に合わない以上、ゲームにおいても新人発掘を行なう必要があったのだ。

もちろん、PlayStation事業の成功の大部分は、「ファイナルファンタジーシリーズ」などの大型タイトルを呼び込めたことによる。だがそのような既存の会社の誘い込みを行なうだけではなく、SCEがかなり積極的に新人発掘を行なってきたことはもっと評価されるべきだろう。

具体的にはまず、1995年から始まった「ゲームやろうぜ!」と呼ばれるゲームクリエイター発掘オーディションである。「ネットやろうぜ!」でPlayStationの民生用の開発キットを販売するという方向性とは別に、SCEは既存のゲーム産業にはいなかったような人材をこのオーディションによって発掘していった。「XIシリーズ」のシフト、「どこでもいっしょシリーズ」のボンバーエクスプス(現ビサイド)など、その後のPlayStationのコンテンツイメージを決定づける作品が本オーディションから登場している。

この「ゲームやろうぜ!」は1999年に一旦中止となる。だが2005年に「ゲームやろうぜ!2006」として復活。藤木淳氏の『無限回廊』、アクワイアの『勇者のくせになまいきだ。』など独創的なゲームが生まれている。さらに2008年には「PlayStation C.A.M.P!」と名前を変えつつも、新人発掘路線は行なってきた。

「PlayStation C.A.M.P!」からは、「ゲームやろうぜ!」時代から引き続いてアクワイアの『100万トンのバラバラ』、昨年、話題を集めたクリスピーズの『TOKYO JUNGLE』、発売日は未定だが魅力的な世界観を持った『rain』などの企画が生まれてきている。

これらの作品をリリースしたクリエイターの中には、シフトやアクワイア、クリスピーズなどのように法人化したデベロッパーも存在する。SCEのオーディションというパスを踏んでいるとはいえ、今から見なおせば「日本のインディーゲーム」とも呼べなくない。PS4によってSCEが大きくインディーゲームに関心を移しているのは、何も今に始まったことではないのだ。CBS・ソニー時代のノウハウをゲーム産業で活かすことで、SCEは新人発掘路線をオーディションという方法で行なってきたのは事実である。

オーディションモデルの限界

しかしながら、今振り返ってみれば、このオーディションモデルによる新人発掘という戦略にはデメリットや弊害も存在したように思える。

前回のコラムでも触れたように「ネットやろうぜ!」、「ゲームやろうぜ!」という企画のタイトルからして、これらが80年代の日本のバンドブーム期の手法をゲームに当てはめているのは明確だ。オーディションによる「才能の一本釣り」という戦略は、確かに才能のある若手を発見する可能性があるものの、その後のプロモーションや活動をSCE自身が引き受ける必要がある。要するに、バンドブーム期のオーディションと同じく、クリエイターはSCEという「メジャーレーベル」と契約することになり、彼らが本来持っていた才能や個性を存分に発揮しづらくなるのだ。

もちろん、インディペンデントなゲーム開発の資金調達は非常に困難だ。クラウドファンディングなどの手法がなかった時代には、コンソール向けに個人や小規模の集団がゲームを提供するなどということは、ほとんど不可能であった。そのため、「ゲームやろうぜ!」や「PlayStation C.A.M.P!」はそういったコンテンツ産業の統合期においては一定の役割を果たし、確かに素晴らしい作品と才能を生み出してきた。

しかしながら、これらのオーディションから登場したゲームタイトルやゲームクリエイターのことを一般のユーザーがどれほど知っているだろうか?少なくとも私は、業界関係者以外で「ゲームやろうぜ!」や「PlayStation C.A.M.P!」のことを知る人間と会ったことはない。さらに言うならば、「どこでもいっしょシリーズ」で人気を集めた猫のキャラクター「井上トロ」はSCEのマスコットキャラクターであり、海外では「Sony Cat」と呼ばれている。これらのオーディションから出発した作品、世界観、キャラクターの多くは、オリジナルのクリエイターの文脈を希釈化することで俗に言う「PlayStationワールド」に属するものとして認識されているのだ。

そもそもこれらのオーディション企画は、クリエイター発掘という側面を強調するあまり、ユーザーの認知度を軽視しがちである。実際問題として1人のユーザーが「PlayStation C.A.M.P!」の情報を得ようとしても、その公式ウェブサイトはあまりにも貧相である。またインディーゲームがこれだけ話題を集める昨今では、「オーディションでメジャーな会社と契約する」というキャリアパス自体がそれほどクールには思えないという欠点もある。いずれにせよ、SCEはこれまでの新人発掘戦略で確かに多くの才能と作品を見出してきたが、プロモーションの点においてそれらを活かしきっていないように思えるのだ。

コンテンツ産業におけるクリエイター自律性の難しさ

SCEは「ゲームやろうぜ!」や「PlayStation C.A.M.P!」での新人発掘を行なう一方、そのプロモーションにおいてはそれほどクリエイターに焦点を当ててこなかったように思える。これはPlayStation事業の初期において、丸山氏が中心となって「クリエイターへのライトアップ戦略」を取ってきたことどこか不整合を感じさせる。憶測の域を出ないが、もしかして世間に「ゲームクリエイター」という職業を浸透させるきっかけとなった飯野賢治氏の影響がそこにはあるのではないかと、個人的には考えている。

先日逝去された飯野氏は、丸山氏などが後押した「クリエイターへのライトアップ戦略」のまさに台風の目であった。テレビや出版などで派手に露出をしていた彼の文章を、当時はロック少年であった自分が雑誌で読んでいたことを記憶している。音楽にしろゲームにしろ「クリエイターの自律性を高める」という戦略は、クリエーションにおいてもプロモーションにおいても非常に重要な施策である。しかしながら、その代償として企業やプラットフォームによる管理が届かないというデメリットも存在する。

ゲームに限らず、音楽や映画などのコンテンツ産業は、クリエイターの自律性に関するアンビバレントな態度を持つ。常に新しく、常に斬新なコンテンツを提供するためには、マーケットの動向を伺うのではなく、感性の高いクリエイターたちに制作を任せる方が良い。だが、そこで生み出されるコンテンツの品質を予想することも、クリエイターの行動を管理することもかなり困難である。

飯野賢治氏が行った『エネミー・ゼロ』の前代未聞のプロモーションも、そのようなクリエイターの自律性を高めた結果であっただろう。それによって、SCEはオーディションによる新人発掘戦略を行いながらも、クリエイターの自律性を管理する方向にシフトしていったのではないかというのが私の仮説である。

ある意味では扱いづらいこの「クリエイターの自律性」は、インディーゲームが注目される昨今、ゲーム産業がより繊細に検討する必要があるトピックだ。キース・ニーガスやジェイソン・トインビーといった研究者たちが、音楽産業におけるクリエイターや従業員の複雑な振る舞い――アンチ商業主義的な態度を取ったり、ユーザーと同じ地平で考えたり、起業家意識を持ったり――を明らかにしてきた。管見の限り、ゲーム産業従事者の行動規範や価値観に関する研究は未だない。それはSCEだけではなく、ゲーム産業にとっての今後の重要な課題である。

2013年3月18日月曜日

革新性と多様性:BitSummitを振り返りつつ思うインディーゲームのあり方

レコード会社時代のソニーの「新人発掘路線」を振り返った前回では、SCEのコンテンツ戦略について書くと述べたが、急遽、テーマを変更させていただきたいと思う。「鉄は熱いうちに打て」という脳内のゴーストのささやきに耳を傾け、今回は先日、3月9日に行われたBitSummitを振り返りつつ、今後のインディーゲームのあり方について個人的な意見を述べたいと思う。

改めて説明は不要かもしれないが、BitSummitは日本のインディペンデントな開発者を世界に紹介するために開かれたイベントだ。主催者のジェームズ・ミルキー氏はQ-Games所属のプロデューサーかつジャーナリスト。イベントの内容については、既に各メディアから報道されているため、ここでは繰り返さない。だが、ミルキー氏がインタビューで応えているように、このイベントの開催趣旨は、海外メディアが「日本のゲーム業界というのはもう終った」と盛んに報道していたことへのカウンターとしての意味合いが強かったようだ。

結果として、海外メディアやパブリッシャーに向けた日本のインディーゲーム・ショーケースといった雰囲気が強く、我々国内のゲーマーは蚊帳の外に置かれた感がある。

それでも当初の予想をはるかに超えて、BitSummitの記事は国内でも多くリリースされた。だが、それらの多くはSteamを擁するValveや有名クリエイターの基調講演を扱ったものが多く、インディペンデントな開発者に焦点を当てた記事は相対的に少なかった。

正直に申し上げると、国内メディアによるインディーゲームの扱いは低すぎる。それにBitSummitのような海外主導のイベントが開催されて初めて、国内のインディーゲームを話題にするような姿勢については、猛省を促したい。そもそもBitSummit以前に、国内にはコミックマーケットなどの同人ゲーム頒布会やIGDAが主催する東京ロケテゲームショウなど、インディーゲームやクリエイターに関わるイベントがあったではないか!(ただ、いつもは海外記事の翻訳が多いGame*Sparkだが、今回は精力的に取材を行なっていた点は高く評価したい。)

もちろん、BitSummitの開催とその報道は、一般の人々が「日本のインディーゲーム」に触れるきっかけを与えたという意味では大きい。これらの記事を通じて、個々のゲームタイトルはともかく、「日本のインディーゲーム」という存在を知ってもらうだけでも、今後のシーンの活性化にはつながるだろう。

またイベントの報道が広がるとともに、日本のクリエイターやプレイヤーの間から「インディーゲームとは何か?」、「同人ゲームやフリーゲームと何が違うのか?」といった議論が顔をのぞかせてきた。この問い自体は、これまでも常に問われてきたことであり、私自身も以前書いてきたことでもある。(詳細は以下の記事を読んでいただきたい。「海外で巻き起こる個人制作、小規模開発者のムーブメント」、「日本のインディーゲームの未来」。)

ここでは簡単に「インディー」という言葉の歴史を振り返ることで、今後の「日本のインディーゲーム」のあり方について個人的な意見を述べたいと思う。

インディーとインディーズ:言葉と概念の歴史

まず日本国内の特殊な事情として、「インディー」と「インディーズ」という表記ブレの問題がある。BitSummitの報道においても両者が混在している。

もちろん、呼称は単なる言葉であって、それほど固執する必要はないだろう。「インディー」であれ、「インディーズ」であれ概念としてある程度、適切に理解されていれば、コミュニケーションに齟齬が生じることは少ない。とはいえ、文脈的に両者の言葉のニュアンスは異なっているため、馴染みがない人に誤解を生じさせるだろう。それぞれに固有の歴史的文脈があるため、ここで簡単に確認しておきたい。

まず「インディー」とは、英語の形容詞「independent」の略であり、しばしば「独立系」などと訳される。その意味するところは、大手の資本や組織に寄らない文化の制作や流通のあり方を指す。もともと、音楽や映画業界で使われてきた用語であり、その歴史はレコード産業、映画産業の始まりと同じくらい古いものである。

しかしながら、現在の欧米圏で使用される「indie」という形容詞は、単なる制作における独立性といった形式的意味以上の含みを持つ。70年代後半に起こったパンクムーブメントは、現在に至るまでこの「indie」という形容詞にイデオロギー的影響を与え続けてきた。そのイデオロギーとは、反資本主義であったり、個人主義であったり、反メジャーであったり様々だが、やはり一番はDIY精神だろう。(公平のために、パンク・サブカルチャーの中にはネオ・ナチズムやハレ・クリシュナ、キリスト教原理主義といった良心的なパンクスが心を痛めるような種類があることも付け加えておこう。)

DIY精神とは、言うまでもなく「Do It Yourself!」の略称であり、「independent」の語義と同じく、文化における独立性と自律性を肯定する態度である。パンクに影響を受けた90年代のロックの多くは、「オルタナティブ・ロック」としてメインストリームに浮上していった。だが2000年代以降、伝統的なDIY精神を守りつつ、インターネットなどの新たなテクノロジーを利用する新世代の多くのアーティストたちは、「インディー」という名称のもとに薄く広がるシーンを築き上げてきたのだ。

この流れにある「インディー」には、ロック・ミュージックだけではなく、映画、雑誌、コミック、ファッション、プログラミング、そしてゲームが内包される。さらに、そこにはDIY精神だけではなく、ハッカー/ギーク的な価値観――フリー、オープン、シェア――といったものがブレンドされている。(元をたどれば、パンク文化もハッカー文化も60年代のカウンターカルチャーに行き着くわけで、これらは生き別れ兄弟の再開と言えるのだが。)

それに対して、「インディーズ」とは和製英語であり、英語で「Indies」と書くと「東インド諸島」を指すことになる。日本では主に音楽業界で大手レコード会社に属さないレーベルに冠される言葉である。この意味での「インディーズ・レコード」の元祖は、1967年のフォーク・クルセダーズの『ハレンチ』である。ただしこの段階の「インディーズ」という言葉は、主に「自主制作」や「自主流通」といった意味が強かった。

現代まで残っている「インディーズ」のニュアンスは、80年代頃に形成された。70年代後半からのグローバルなパンクロックのムーブメントが日本にも影響を与え、多くのロックバンドが誕生した。その流れが80年代後半に大衆的な注目を浴び、雑誌やテレビ番組などで「インディーズ」として紹介され始めたのが決定的だった。

80年代後半のインディーズ・バンドはハードコア・パンクからゴス・ロック、テクノポップなどかなり多様なものであった。しかし、90年代には日本ローカルな音楽ジャンル「ヴィジュアル系」が人気を博してきた結果、「インディーズ」という言葉のイメージがヴィジュアル系に引き寄せられることになっていった。ヴィジュアル系のロックバンドは確かに、インディーズ出身が多くいるが、海外の「インディー」という言葉に含まれるDIY精神や反資本主義といった価値観はあまり強く打ち出していない。そのため、日本の音楽業界で「インディーズ」という言葉は「メジャー予備軍」的な扱いを受けることも珍しくない。こういった事情もあり、海外志向のロックバンドは、徐々に「インディーズ」という言葉を避けるようになっていった。

現在、80年代からの日本の音楽に親しんだ人は「インディーズ」という言葉を使用する傾向にあるが、海外の音楽シーンに共感を覚える人はこの言葉をあまり使用したがらない。一方ゲームでは、2009年から始まった「Xbox Live インディーズゲーム」が「インディーズ」という形容詞を冠した結果、「インディーズ」という言葉が普及してしまった。日本ローカルな文脈を避け、グローバルなシーンを強調したい音楽ファンにとって、「インディーズ」という言葉は唾棄すべきとまでは言わないが、少々居心地の悪い響きを持っているのだ。

もちろん、呼称は呼称であって、それほど固執する必要はない。パンクロックが好きな私個人は「インディーゲーム」という言葉の方を好むのだが、「インディーズゲーム」という言葉が日本で一定、定着してしまったならば、それ自体には文句はない。しかし、言葉の歴史を知ることは、それで名指される概念の持つ価値観を理解することにつながる。そしてインディーズゲームであれ、インディーズゲームであれ、重要なのはその概念と価値観のあり方なのだ。

欧米に比べると音楽業界とゲーム業界(さらに映画業界)の隔たりが大きい日本では、以上のような事情もともない文化横断的な「インディー」という価値観はそれほど浸透していない。それに何も海外の価値観をそのまま輸入することだけが、選択肢ではない。今の日本のゲーム業界に必要なことは、海外のインディーゲーム・シーンの良いところ、悪いところ咀嚼した上で、より良い「インディーゲーム」の概念と価値観を創りあげることだ。

革新性と多様性

ここから先に申し上げることは、多分に私の個人的な意見によるものだ。私は何もインディーゲームのあり方と価値観を定義したいのではなく、ひとつの提案をしたいのである。

「independent」の語義に忠実にあるならば、インディーゲームとは何かしらの独立性や自律性を持っている必要がある。それは歴史的に言えばDIY精神であり、文化をクリエイター自らの手で発信すると共に、コントロールすることに重きを置く。この点からインディーゲームにとって重要なポイントは、革新性と多様性にあると、私は考えている。

革新性とは、オリジナリティであり、イノベーティブであり、クリエイティブであることだ。どんな文化においても、規範や慣習を突き破った表現が文化を成熟させ、発展させてきた。ゲームも同様だ。

もちろん、インディーゲームだけが革新的であるわけではない。従来のゲーム産業が作り上げてきた作品の中にも革新的なものは多数ある。しかしながら、産業の成熟とともにゲーム会社は統合され、大企業化していく。「イノベーションのジレンマ」として知られるように、巨大企業はリスク回避という合理的な選択を繰り返す結果、革新的なプロダクトへの参入を避け、結果として新規需要を取りこぼす。

このようなコンテンツ産業の統合化の後には、クリエーションを行なう部門が小規模化、流動化することが知られている。そのような小規模なスタジオは、ロックバンドがレコード会社から離れるように、大手パブリッシャーやデベロッパーから分離して、大企業が手を出せない革新性の高い作品をリリースすることになるだろう。また統合化の結果、成立するオープンなプラットフォームでは、新規参入者が増え、彼らも革新性の高いコンテンツを提供できるだろう。(この流れについては、以下の論文が詳しい。樺島榮一郎「個人制作コンテンツの興隆とコンテンツ産業の進化理論」。)

これらの小規模の開発者たちが提供する革新的なコンテンツは「インディーゲーム」の名の下にあるだろう。彼らは言うならば、ポップカルチャーにおけるアヴァンギャルドであり、常に挑戦的な表現をゲームという領域で行なうのだ。もちろん、ハイリスクな挑戦であるため、こういったプロジェクトには大企業や公的資金の援助が必要かもしれない。だが、たとえ外部資本の提供を受けようとも、クリエイターの表現の独立性が守られるなら、それらは「インディーゲーム」と呼びうるものだと思う。

他方、多様性とは、インディーゲームは様々な形体を含みうるということである。ゲーム産業が成熟化すると、革新性と同様に多様性も失われる。リスクを恐れる大企業は人気タイトルの続編やフランチャイズに資金を注ぎ、ゲームのジャンルも画一化していく傾向にある。それに対して、小規模なデベロッパーは革新的なゲームに挑戦すると共に、既に流行が終わったとされるニッチジャンルにもタイトルを提供していくことができる。

しかしながら、多様性は何もゲームの中身に限ったことではない。プロジェクトの企画、運営、流通、プロモーション、あらゆる面でインディーゲームは既存のゲーム産業が持たない多様性を持ちうるし、持つことが許されるべきだ。

なのでPCで公開して、SteamのGreenlightを通過するということだけが、インディーゲームの成功モデルになって欲しくはない。そもそもインディーとは独立性の美学であり、それらのゲームの中身とは別の部分にも開発者の自由度があってもよいし、あるべきだろう。だが逆にインディーゲームは既存のプラットフォームやシステムを利用せず、すべてをゼロからこなすべきかというそうではない。

Steamであれ、Desuraであれ、Playismであれ、開発者は好みのディストリビューターを利用すればよい。コンソールに展開するのだって1つの選択肢だ。自分たちのゲームを実現するために、パブリッシャーと手を組むことも自由であるべきだろう。もちろん、コミックマーケットも立派な流通の場であり、プレイヤーとクリエイターが直に接することができる貴重なプロモーション手段の一つだ。

要するに重要なのは、「多様性の中で成り立つ選択の自由」なのだ。これは流通、販売、プロモーションすべてに言えることだろう。Kickstarterでキャンペーンを行なう、Greenlightに応募する、コミックマーケットにサークル参加する、ネット上で無料で公開する。どのようなパスを踏んでも、「多様性の中で成り立つ選択の自由」さえ守られるのであれば、「インディーゲーム」と呼んでいきたいものである。

まとめると、ゲームの内容とその発表の仕方、両者の点で革新性と多様性が良しとされる価値観。それが「インディーゲーム」の概念を形作っていくことが、私の理想である。そして、インディーゲームを支えるシーンやメディアはそのような革新性と多様性の自由を可能にする環境を提供していくべきなのではないだろうか。

2013年3月8日金曜日

クリエイター発掘というSCEのコンテンツ戦略の過去と未来(PART1)

2月20日、ニューヨークで行われたPlayStation Meeting 2013においてPlayStation4の発表が行われるやいなや、日本では飯野賢治氏の訃報が流れた。PlayStation向けに開発を進めていた『エネミー・ゼロ』を、SCE主催のイベントでセガサターン向けに変更するという前代未聞のプロモーションをした飯野氏だけあって、何かの因縁を感じずにはいられない。

ただこのようなクリエイターのスタンドプレイが発生したことは、ソニーグループのコンテンツ戦略において、ある程度想定された自体でもあった。今回、PlayStation4の発表と飯野氏の逝去を契機として、ソニーグループのコンテンツ戦略のあり方について二回に渡って振り返ってみよう。

レコード会社から始まったSONYのコンテンツ事業

SCEではなく「ソニーグループのコンテンツ戦略」と書いたのには理由がある。ソニーは本来、AV機器メーカーであり、世界規模の大手電機メーカーである。オーディオ機器メーカーとして出発したソニーが、最初に手を出したコンテンツ事業は当然、レコード会社であった。1968年にCBS・ソニーレコード株式会社(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)として設立された音楽部門は、戦後初の日本のレコード会社であり、レコード会社としてはかなり若い。

米CBSとの合弁会社であったCBSソニーは、コロンビア、ビクター、ポリドール、キング、テイチクといった戦中を生き残った日本のレコード会社と比較すると、音楽制作事業のノウハウはほとんどなかったと言ってよい。そのため、米CBSの原盤を利用する形で日本市場で主に洋楽を売り込んでいった。CBSソニーの初のヒットレコードとして知られるのは、1968年にリリースされたサイモン&ガーファンクルによる映画『卒業』のサウンドトラックだ。

70年代の日本市場における洋楽ロックのヒットの裏にはCBSソニーがあった。特にエアロスミス、チープ・トリック、クラッシュといったロックバンドを、積極的に国内に売り込んだ洋楽ディレクターの野中規雄氏の活躍は語り継がれている。アメリカでは当時、無名であったロックバンド、チープ・トリックを日本の武道館でライブ・レコーディングを行い、アルバム化した『チープ・トリックat武道館』は全世界でヒットした。さらに海外のアーティストに「ブドーカン」の存在を知らしめた。

つまり、当時のCBSソニーの洋楽ディレクターは、単に米CBSの音楽コンテンツを輸入するだけに留まらず、海外コンテンツの「ローカライズ」や「カルチャライズ」を行なっていたといえよう。これら野中氏の活躍は和久井光司氏による評伝『「at武道館」をつくった男』に詳しく描かれている。海外コンテンツの国内輸入といった普遍的な課題の参考になるため、興味を持った方はぜひとも読んでみてほしい。

一方、邦楽部門の最初のリリースはフォーリーブスの両A面シングル『オリビアの調べ/壁のむこうに』。ジャニーズ事務所に所属しするグループサウンズのフォーリーブスは、アイドル的な人気が高かった。また洋楽レーベルであるEPICソニーから浅田美代子や麻生よう子といった新人をヒットさせ、他のレコード会社に先駆けてアイドル路線というジャンルを確立した。

この邦楽部門の躍進は、レコード会社として自ら新人発掘オーディションを行なうという美談として語られることが多い。だが、EPICソニーの設立者であり、PlayStationの開発にも大きく関わった丸山茂雄氏に言わせれば、まだ若い会社であったCBSソニーは既存のアーティストやミュージシャンと契約できなかったことが、何よりもの理由だと話している。結果として、歌手としてのキャリアが浅い新人を発掘してデビューさせるという路線が採用されたのだ。浅田美代子に至っては、そのセールス的な成功にも関わらず、歌唱力は低いとバカにされていた。

だがこのEPICソニーの新人発掘路線は、80年代に実を結び、その後の日本の音楽に大きな功績を残した。「ロックの丸さん」として知られる丸山茂雄氏は、THE MODS、佐野元春、TMN、DREAMS COME TRUEといった数々の才能のあるアーティストを輩出。新人発掘と自社原盤の制作に力を入れ、「洋楽っぽい日本の音楽」という現在のJ-POPの流れを生み出す源流となっている。

PlayStationにおける新人発掘路線

CBSソニーは91年にソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)と社名を変更、93年にソニーの技術者と共に家庭用ゲーム機とそのコンテンツの開発・販売を行うソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を設立した。これらPlayStation開発の経緯やエピソードはよく知られたものであるため、ここでは詳述しない。

着目すべき点は、このPlayStation計画にゴーサインを出したのがCBSソニーの初代社長であった大賀典雄氏であり、SMEの会長であった小澤敏雄氏がSCEの社長を務め、EPICソニーで新人アーティストを輩出してきた丸山茂雄氏が副社長を務めたことだ。PlayStationと言えば、技術者から経営者へと転身した久夛良木健氏の功績が大きく語られるが、SCEの設立時のメンバーの多くは音楽コンテンツ事業の出身者でもあったのだ。

よって、PlayStation事業においてもソニーの音楽コンテンツ事業が持っていた「新人発掘路線」は強く打ち出されている。具体的には、アマチュアからクリエイターを発掘するため、一般向けの開発環境「ネットやろうぜ!」を販売、さらにプログラミングなどができないクリエイターにも「ゲームやろうぜ!」というオーディションを企画していったのである。

「ネットやろうぜ!」、「ゲームやろうぜ!」という企画のタイトルが、日本のバンドブームを盛り上げた音楽雑誌「バンドやろうぜ」のもじりであることは明白だ。70年代後半からの日本のバンドブームでは、オーディションを勝ち抜いたバンドやアーティストがレコード会社と契約するというモデルが成立していた。このようなオーディションモデルは、単なるコンテンツ供給手段だけではなく、「普通の若者でもアーティストやクリエイターになれる」という夢を人々に与えることで、マーケティングの役割も同時に果たしている。

もちろん、超巨大企業であるソニーグループがこういったコンテンツ戦略の方針を明確に抱いているかといえば、そうではない。だが、実際にソニーグループのコンテンツ事業に従事した人物は音楽業界とゲーム業界を股にかけた活躍を行なっているため、自然とそのような発想で事業に取り組んできたと考えることは妥当だ。

PlayStation4発表後、メディアはハードウェアのスペックに話題を集中させているが、SCEのソフトウェア、つまりはコンテンツ事業に焦点を当てた分析は相対的に少ない。そこで次回はこのSCEの新人発掘路線をもう少し詳しく見るとともに、その功罪を考察、さらにはコンテンツ産業の従事者やクリエイターの特殊性について触れ、PlayStation4の将来を占ってみたいと思う。

2013年3月1日金曜日

部屋と引越しとビデオゲーム

PlayStation4の発表や著名ゲームクリエイターの飯野賢治氏の訃報が報道される中、私はこの一週間、引越し作業で忙殺されていた(SCEのコンテンツビジネスの戦略及び飯野氏については時期を改めて書きたいと思う)。そのため、ゲーム業界の動向については、一足遅れてニュースを確認している。しかしながら、「引越し」というある種の「イニシエーション」は人間とビデオゲームの関わり方を考えるには良いきっかけになったように思える。

引越しにおけるパッケージとダウンロード

他の国の人々はどうか知らないのだが、日本における引越し作業は苛烈を極める。なによりも日本の住環境はグローバルに見ると、極端なまでに狭い。そのくせに日本人は物を収集することに愛着を感じる人が多い。

私も御多分にもれず、大量のCDと本、そして音楽雑誌を所有しており(一部は研究のための資料なのだが)、それらが全体の荷物の中の大半を占める。ビデオゲームに関してはそれほど所有してはいないが、どう考えても日本人のサイズに合わないXbox360を運ぶのは苦労したし、捨てるに捨てれなくなっているセガサターンや故障したまま放置されている初期型のPSPなども発掘され、それらも運ぶハメになった。ついでに海外に渡航する知人から預かったパッケージソフトがダンボール2箱分もあった。

ゲームのパッケージソフトに関しては、その一部を中古業者に売りに出した。古本やCDなどと比べると、ゲームの中古市場は驚くほど安定している。古いゲームであってもパッケージなどがしっかり残っていると、予想以上の高値で買い取ってもらえるのだ。このような中古市場の存在は、日本でのゲームの流通がパッケージソフトからダウンロードに移行しない理由の一因になっているように思える。つまり、相対的に高い価格であっても、それらを買い取ってもらえる市場があるため、日本人の多くはパッケージソフトを買う傾向にある。

とはいえ、やはりパッケージソフトの管理は非常に煩わしい。引越し先で早々にモニターラックにXbox360を設置しても、ダンボールの奥底から遊びたいゲームソフトを探す気には到底なれなかった。インターネットの回線もまだ整っていないため、XBLAで以前ダウンロードしたゲームを遊ぶことしかできない。もちろん、引越し作業が忙しすぎてゲームなんてやっている場合ではないが、常にオンラインであり、その気になれば新しいゲームをダウンロードできるスマートフォンの便利さは引越しをすると痛感する。

パッケージソフトと異なり、ダウンロードしたゲームは転売が不可能であるが、自分のライブラリをハードウェアやストレージごと運べる。でも逆に言えば、パッケージソフトは「財産」でもあり、その転売の自由もあれば、管理のためのコストも必要なのだ。どちらも当然のことなのだが、「引越し」という非日常的によって、より強調され、より鮮明になる。今後は「財産として所有したい」と思うゲームだけをパッケージで買い揃え、その他のものはダウンロードなどで済ませる。現に音楽について行なっているのと同様の指針が私個人の中で固まった次第だ。

ゲームのプレイ環境とコンソールの設置場所

さて、荷物が無事に引越し先に運ばれたとしても、ビデオゲームに関するさらなる問題が待ち構えている。その一つは、コンソールの置き場だ。ひとり暮らしの人ならともかく、家族や複数世帯で暮らしている人にとって、据え置きのコンソールの置き場は1つの悩みの種だ。

私は以前、メインのデスクトップPCと共にXbox360を自身の個室に設置していた。成人男性の個室に設置されるXbox360はいかにも不健康そうなイメージを放ち、血なまぐさいFPSやTPS、ケバケバしい弾幕STG、オタク臭いノベルゲームをプレイするにはピッタシに思えた。

だが、とある事情からリビングルームにXbox360を設置してみると、それらのゲームジャンルが途端に似つかわしくないもののように思えてきた。当たり前だ!子どもがいるリビングでGears of WarやGTAシリーズはプレイできないし、ソファーに座りながらアーケードスティックで弾幕STGをやっている姿はなんだか情けない。ノベルゲームに至ってはプレイするだけでなんだか恥ずかしい!(『STEINS;GATE』のファンである私は、同スタッフが制作した『ROBOTICS;NOTES』の体験版をプレイしてみたが、その内容とかそういう問題以前にリビングルームでやるゲームではないと判断した。)

ハードウェアやデバイスさえあれば、それでプレイするゲームは個人の自由だと我々は思いがちだ。しかし、実際にはプレイする環境によってコンテンツの種類は変化するし、我々の住環境の自由度は思ったほど大きくない。ゲーム専用のコンソールが登場して以来、TVモニターはゲームが遊びたい子どもとテレビ番組を見たい大人の戦場となった。そのような歴史を熟知しているため、任天堂がWiiUでディスプレイを搭載したコントローラーを採用したことは不思議なことではない。

現在の日本においてこれほどまでに単純なカードバトル型のソーシャルゲームが受け入れられた理由として、日本人の通勤通学環境がよく引き合いに出される。しかしながら、モバイルデバイスやスマートフォンなどだけではなく、実際のところコンソールで遊ぶゲームのジャンルや種類も住環境や家族構成によって左右されるのだ。場合によっては同居人の趣味などによっても、それらは変化を強いられる。(ビデオゲームに寛容な同居人を持つ幸福な私は、Xbox360をリビングに置いた後、カウチスタイルで『スコット・ピルグリムVS.ザ・ワールド: ザ・ゲーム』を楽しんだ。そうすることで、スマートTVとして受け入れられているXbox360の北米的イメージが理解できたように思える。)

アーケードパラダイス日本!

さて引越しを行なって数日たった今でも家の中はダンボール箱の山だ。コンソールは無事に設置されたが、インターネット環境もなく、落ち着いてゲームができる環境には程遠い。一応、仕事用に使っているラップトップにはSteamがインストールされており、日本の同人ゲームのいくつかもダウンロードされているが、ダンボールに囲まれて小さなモニタでゲームをやる気は起こらない。

仕事のためにインターネット環境のある場所に向かう私は、ついついゲームセンターに足を運んでしまった。そうだ!アーケードがあるじゃないか!いくら引越し中とはいえ、幸福な日本の私にはアーケードがあるじゃないか!

十中八九タバコ臭く、複数のゲームの音が入り混じり、騒々しい日本のゲームセンター。ゲームをやらない人にとっては近寄りがたく雰囲気をプンプン放っている。だが、久しぶりにアーケードに足を運んだ私には懐かしさがこみ上げてきた。薄暗い照明の中、殺伐とゲームをプレイするゲーマーたち。未来的であるのと同時に懐かしいブラウン管モニタの数々。その環境はすべての種類のゲームにふさわしいわけでは決して無いが、それでもゲームをやるための純粋な場所、神聖な場所なのだ。

アーケードではゲームは決して所有の対象ではない。もちろん、個人で高価な筐体や基盤を購入するマニアはいないわけではないが、基本的にアーケードゲームは私的所有権を阻んでいる。そこではプレイヤーはワンコインの元に平等であり、個人の所有欲といったものとは関係なく、ゲームに対する愛情を注げるのだ。

100円を消費して体験する濃密な10分間(遊べる時間はプレイヤーのスキルによるが)。それは私にとってゲーム体験のオリジンであり、一番ピュアなものだ。電車の中の乗客や同居人の目をはばからずゲームを愛する人達の中でプレイができる最高の環境のひとつなのである。

アーケードもしくはゲームセンターは全盛期に比べると衰退しており、店舗も減少傾向である。しかしながら、ある程度の都市ならば1、2のゲームセンターが見つかる日本は世界的に見れば非常に恵まれた環境である。アーケードに足を運べば、ゲームソフトはコンソールを持たなくても、人はみな平等にゲーマーになれる。そんな当たり前のことを、引越しという非日常を経験することで改めて気づいたのである。