2013年1月7日月曜日

ゲーム開発の民主化とその先にあるもの

謹賀新年。

昨年2012年はゲーム産業にとって激動の1年だっただろう。日本国内ではソーシャルゲーム業界が 台頭する一方、コンプガチャが社会問題化。また多くのコンシューマゲーム会社がスマートフォン・プラットフォームに乗り出した。  海外ではドキュメンタリー映画『Indie Game: The Movie』が公開されるなど、インディーゲームが大きな注目を浴びた。中でもMinecraftは累計1750万ダウンロードという偉業を達成し、こち らもドキュメンタリー映画『Minecraft: The Story of Mojang』が制作された。もはや海外のインディーゲームシーンはクリエイティビティの点でも、産業の規模としても、無視できないものになっている。

昨 年末、筆者も足を運んだ「黒川塾」第四回目では、エンターテイメント大賞を決定するというイベントが行われた。黒川塾はエンターテイメント産業を数々に遍 歴した黒川文雄氏がボランティアベースで行なっているイベントだが、そこでは著名な業界人が一堂に会して、2012年のエンターテインメント産業を振り返 ることになった。話題になった対象は、ガンホーの大ヒットスマートフォンゲーム『パズル&ドラゴンズ』、無料音声通話&メッセンジャーア プリのLINEなど、日本国内のものに偏った感がある。だが最後のフロアからの質問コーナーでは、UnityやOUYAといったグローバルな話題にも触れ られた。

改めて説明するまでもないが、Unityは北欧のUnity Technologiesが開発しているマルチプラットフォームのゲームエンジンだ。筆者はゲームレビュアーとしてAndroidのゲームを数多くプレイ しているが、混沌としたAndroidマーケットの中でUnityのロゴマークはある種のブランドとして機能していたと思う。少なくともUnityで作ら れたゲームは一定のクオリティが期待できるからだ。

日本ではソーシャルゲームのニュースの影で息を潜めていたが、昨 年のゲーム業界のカンファレンスでUnityの文字を見なかったことはほとんどなかった。そのくらい彼らは宣伝活動は熱心であり、スマートフォンを始め、 マルチプラットフォーム化するゲーム業界に今後も多大に影響を与えることは確かだ。

OUYAもまた説明不要かもしれない。今年の4月には発売される予定の「次世代」ゲームコンソールだ。OSにAndroidを採用し、ライセンス契約不要の無料の開発用SDK提供するというこの寛大なゲームマシンはその開発過程もまた特徴的だ。

昨 年の7月10日に米国のクラウドファンディングKickstarterにてプロジェクトを公開。860万ドルといい歴代第2位の資金獲得に成功し、プロ ジェクトがスタートした。スクウェア・エニックスやバンダイナムコゲームスといった日本の大手パブリッシャーも参入することを発表。その成功は未だ約束さ れたものではないが、コンソール機市場の未来が暗い中では一際明るいニュースであった。

「ゲーム開発の民主化」は、 このようなUnityやOUYAのトレンドを一言で表す便利な言葉だ。Unityは早い段階からこのキャッチフレーズを使用していた。OUYAもまた、そ のオープンなプラットフォームを強調するために「民主化」という言葉を使用する。日本では、そのビジネス的なメリットばかり強調されるF2P(基本プレイ 無料)というマネタイズ方法も、海外では主に海賊版対策であり、そして「ゲームの価格の民主化」としてみなされているから驚きだ。

こ のような民主化が、インディペンデントなデベロッパーに果たす役割は極めて大きい。旧来なら、開発環境を準備して、ファーストパーティとライセンスを結ぶ だけでも多額の資金が必要であったゲーム開発・流通が一気に容易になるからだ。日本国内でもUnityを含めたゲームエンジン提供会社はインディペンデン トなデベロッパーに焦点を合わせてきている。(ゲームエフェクト用のエンジンBISHAMON Personalを提供するマッチクロック社が、昨年のCEDECで同人ゲームを展示していたのには筆者も驚いた!)

も ちろんこのような「民主化!民主化!」という叫び声は、ある部分、バズワードであることは否めない。民主政と衆愚政が紙一重であるのと同様、ゲーム産業に おける民主化が必ずしも良いことは限らない。現にオープンなプラットフォームであるAndroidやWindowsといったOSでは、クズのようなアプリ ケーションから有害なプログラムには事欠かないのだ。

それでも、制作の簡便化と参入障壁の低下はコンテンツ産業にお ける必然だ。録音編集技術が広く普及した音楽は、いち早く「民主化」を達成した業界であり、今では世界中のありとあらゆる場所で音楽は制作され、インター ネットを通して流通している。BandcampやSoundCloudといった音楽のウェブサービスには、有名無名や品質の良し悪しを問わず果てしない数 の音源がアップロードされている。

このようなコンテンツの爆発的な増加は、望ましくもあれば、頭痛の種にもなる。人 生が有限である以上、聞ける音楽の数は限られる一方、大量のコンテンツから「当たりを引く」のは以前よりも難しくなっている。ゲーム業界もそう遠くない将 来、同様の現象にみまわれるだろう。そして消費するための時間が長大なゲームの場合、それは音楽以上に深刻な問題になるかもしれない。

ポ ピュラー文化が辿る歴史的変遷から考えれば、そのような「コンテンツの爆発」に引き続いて起こる現象としては、「批評の民主化」が挙げられるだろう。もち ろん、ビデオゲームには新作のレビューや批評といった実践は既に存在している。しかしながら、それらは主に(良くも悪くも)業界と関係が深い一部の商業メ ディアが実践してきたことであり、常に「広告」や「宣伝」といったメディアが果たすべき他の役割との間に軋轢を生み出してきた。さらに、パッケージ時代と は桁違いのコンテンツの数に既存の商業メディアが対応しきれるかどうかわからない。

英語圏ではこのような状況に対し て、2000年代には優れたゲーム批評を行なうブログメディアが出現してきた。例えば、Rock, Paper, Shotgunは4名の著名なゲーム・ジャーナリストが運営するブログであり、日本のPCゲーマーにとっても有名どころだ。メジャーなAAAタイトルから マニアックなインディーゲームまで扱うその姿勢は、既存の商業メディアではありえなかったものだろう。また女性のゲーム批評家かつプロデューサーの Tami “Cuppycake” Baribeauが手がけるThe Border Houseは、フェミニズムの観点からビデオゲームを論じるという日本にはないタイプのメディアだ。

これらのブログ メディアが既存のメディアとは異なった形でビデオゲームを切り取ることで、海外には新しいビデオゲームのシーンが生まれてきた。インディーゲームの躍進の 年となった2012年も、インディーゲーム・デベロッパーの奮闘だけによって作られたわけではない。文化の発展は常に制作者と受容者の対話によって後押し されるわけだ。

UnityやOUYAが示す「ゲーム開発の民主化」という未来は、日本のインディペンデントなデベ ロッパーたちにはもちろん歓迎されるものである。しかしながら、本当の意味において「ゲーム開発の民主化」するためには、単にオープンなゲームエンジンや プラットフォームが誕生するだけでは、まだまだ先は長い。個人やグループによって自由に制作されたゲームが、エンドユーザーにも認識され、プレイされ、 AAAタイトルのゲームと比較され、評価される。そういった一連の実践が成立してこそ、「ゲーム開発の民主化」が達成されるのではないだろうか?そして、 そのような「ゲーム開発の民主化」を後押しするものとして、「ゲーム批評の民主化」が果たすべき役割は多いと感じている。