2012年6月11日月曜日

ゲームの「ステレオタイプ」、日本と海外の違い


文化が異なれば、価値観もルールも何もかも異なる。もちろん、これはゲームであっても同じことが言える。文化が異なれば、ゲームも異なる。今回は日本と欧米、それぞれのメジャータイトルにおける「ステレオタイプ」について少しお話してみたい。

1.       文化的概念

日本のゲームとは、一般的にプレイヤーを楽しませ、励ますためのものである。非日常的なファンタジー要素が存分に盛り込まれており、ストレスや我慢がつきものの日常生活からプレイヤーを解き放ち、幸福な世界へ逃避装置、とも言える。
しかし、ファンタジックなビジュアル面とは裏腹に、ゲームの内容は、意外と現実との間に隔たりはさほどなく、普通の生活者が感じる悩みや心の葛藤を描いているものが多い。つまり、日本のゲームは、現実生活にも持ち越すことのできる喜びをプレイヤーに与えてくれるものが多い(ファイナルファンタジーやドラゴンクエストシリーズといった典型的な日本RPGを参照)。

一方欧米の多くの大作ゲームは、第三次世界大戦やエイリアンによる侵略など、『まずあり得ないが、起こらないとは言い切れない』というギリギリのリアリティの上に成り立っている。(スタークラフトやコールオブデューティーシリーズなど)また、ビジュアル面ではファンタジー的要素が少なく、日本のゲームがキャラクター間で生まれる“ドラマ”を描くのに対し、欧米ではグローバルな出来事そのものにクローズアップする場合が多い。

さらに、欧米の作品は、「白と黒」の道徳に従っている。キリスト教的発想がベースにあるからか、善と悪がシンプルに対決する。マスエフェクトシリーズに代表されるような、プレイヤーがどちら側に付くか勢力を選択できる作品においても、その選択肢は両極端であり、やはり善と悪の対立が基礎となっている。
一方、日本のゲームでは、戦いの動機は複雑であることが多い。日本のゲーム主人公は葛藤を抱きながら戦う。己の利と相手の利がかみ合わないのであり、善悪の判断を上手くつけることは難しい。様々な事情の中で、主人公は戦っている(例えば、ドラゴンクエスト4)。
もちろんすべてがそういう作品ではない。マリオはクッパを倒すことに何の疑問もないだろうが、多くの作品は人物関係や社会を題材として扱い、そして何より、日本の作品は必ずしもハッピーエンドで終わるわけではない。言い換えると、東洋の方がストーリーに対する懐が深い、とも言える。

例外は当然あるにせよ、日本と欧米のゲームの間にこうした違いが存在しているのはご納得いただけるだろう。さて、こうした違いはどこから生まれるのだろうか?

その理由は、民族性にあると私は考えている。欧米人はどちらかというと、分析的であり、科学的観察と実験による証明の上に文化を創り上げてきた。もちろん、欧米文明も非常に宗教的であり超自然を信仰してはいるが、アジア人の自然崇拝および社会的性質と比較すると、やはりより分析的である。例え空想の世界であったとしてもそこに正当性が伴わなくてはならない。が、日本においては純粋なリアリズムや整合性をそれほど気にしないのではないだろうか。

また、ターゲットの違いも関係しているだろう。アメリカとヨーロッパのゲームファンは、そのほとんどが青年であるが、日本のゲームの多くは女性もターゲットに据えて開発されている。一般的に女性が好むのは、やはりアクションよりもファンタジーだ。そうなると、ファンタジー要素をゲームに盛り込むことは当然のこととも言える。
さらに日本では、特にソーシャルゲームやアーケードゲームにおいて、老若男女問わず遊んでいる。年輩者が地下鉄でスマートフォンや3DSで遊んでいる光景を見るのは、決してめずらしいことではない。女性向け、年長者向けなど、特定のターゲットに向けたゲームさえ存在する。(ちなみに、これは、欧米のゲーム市場においては極めて珍しい。)ターゲットが広くなれば、当然ゲームの種類も幅広くなる。

なお、ターゲットの差は、ゲーム主人公にも影響を及ぼしている。欧米作品の主人公たちは、圧倒的に白人男性が多く、非白人キャラクターは脇役やNPC、あるいは敵役である。もちろん日本のタイトルでも日本人が主役であることが多いが、同様に様々な素性のキャラクターが登場する。複数の人種、時には生物種(猫キャラクターなど)が登場する。これは、ターゲットのことだけでなく、自身の文化外のものを柔軟に吸収してきた日本の伝統が影響しているのかもしれない。

2.       スタイルとジャンル
日本のゲームのキャラクターやアートワークは、アニメや漫画のようなデザインのものが主流であり、創造力と精緻なディテールに優れている。また、日本のゲームは語ることを急がない。物語のペースが非常に遅く、気長なものであり、単純なアクションではなく感情に焦点を当てることが多いため、欧米のゲーマーにとっては時に理解することさえ難しい。プレイするには忍耐を要求されるが、最終的には大きな満足感が得られる(場合が多い)。
一方、欧米のゲームはリアルなグラフィックを追求し続けており、特に銃や軍隊装備などのグラフィックへのこだわりが相当強い。さらにそのテーマは大抵、人類を救う「ヒーロージャンル」である。彼らは愛国的感情に満ち溢れており、その様子はゲーム内の様々な面で見受けられる。つまり、欧米作品は長らくひとつのテーマを中心に開発されている。それは、「戦争」である。各年トップ10タイトルのうち、半分は何らか戦争をテーマにしている。が、これは日本人ユーザーにとってはあまり価値がないようだ。「戦うこと」自体は、欧米東洋関係なくゲームにおける重要な要素だが、リアルな戦争作品は日本では人気がない。モンスターハンターとギアーズ・オブ・ウォーの世界、国内の売れ行きの差から明らかだ。リアルな戦争物は、日本の平和的文化には適さないようだ。

なお、このスタイルの違いは、ジャンルにも影響を及ぼしている。欧米で人気のあるファーストパーソンシューティングは、ほとんどが、リアルであり、ヒーローが活躍する戦争ゲームだ。最も人気の高いシリーズはもちろんコールオブデューティーだが、日本市場では海外ほど高い名声を得ることはできなかった。様々な理由があるだろうが、以下の3点に分類できると考える。
1.       日本にはFPSTPSのプレイや開発の歴史が少ない上に、日本のゲーマーへのマーケティングが少ない。
2.       日本人にとって、ややワンパターンで直線的なゲームプレイであり、物語やドラマといった要素を求めるプレイヤーには魅力がない。
3.       操作が難解過ぎ、絶え間ない視点切り替えはプレイヤーを混乱させ、不快な気持ちにさせてしまう。

以上3点は、逆を言えば、欧米のプレイヤーが日本のシューティングやサウンドノベルに対して思っていることかもしれない。こちらは、アニメ的であり、ストーリーも複雑なものが多い。また、特に強力なニッチコミュニティを持つ特定のシューティングゲームは、日本独自の進化を遂げており、時として超常的な反射神経と速度を要求される。それらの圧倒的なハードコアハイペースアクションゲームは「弾幕」シューターとしても知られている。また「cute 'em up」と呼ばれる特別なサブジャンルもあり、明るいカラーのグラフィックとシュールな設定と敵、女性キャラクターまで登場するのが特徴だ。他にもキャラクターが特殊武器を使用して戦闘などを行う横スクロールゲームである「ラン&ガン」というサブジャンルもある。実は、アメリカやヨーロッパにおいて、このジャンルのゲームは非常に少ないのだ。

3. ステレオタイプの融合
ここまで述べた話は、トップセラーの主流作品における傾向であり、日本、欧米の小さなデベロッパーたちはその溝を埋めようとしており、日本と海外の融合的作品が現れつつある。
その例としてはインディーデベロッパーReverge LabsによるSkullgirlsが挙げられる。アメリカ産のゲームであるがキャラクターデザインはマンガ的作品だ。また、日本で開発されたセガのバイナリードメインは、日本と欧米の長所を組み合わせようと試みている。戦略的なシューティングジャンルと、欧米のシューティングゲームには見られない深く広範なストーリーの融合だ。
今後、この「融合」からさらなる新しいエンターテイメント要素を含んだゲーム作品が次々と登場することを強く願っている。