2011年11月28日月曜日

翻訳支援ツール


翻訳に関する記事を書く前に先に断っておかなければならないことがある。僕は言語がどうも苦手だ。そうであるにも関わらず、今こうして翻訳の仕事に少なからず携わっているから人生というものは実に不可思議で面白い。

未だ日本が韓流に染まるずっと前、学校帰りのCD販売店で韓国での当時の人気グループ서태지CDアルバム『서태지와 아이들』が販売されていた。この日本語訳、『ソテジと子供たち』の意味なのだが、そこに書かれた日本語訳は『ソテジとアイドル』…と翻訳しているのではなく、発音に近い日本語を当てはめていた。翻訳者としてとある日本人翻訳者の名前が記載されていたが、このような簡単な単語すら翻訳できないのに、翻訳家として活動している人がいることに。
 
さて、僕が翻訳の仕事に携わる前、学生の頃、初めて翻訳したのが動物学の教材だ。当時、韓国漢陽大学生命科学科に通学していた僕は動物学の教授に呼び出され、日本語→韓国語の翻訳を任された。大学で取扱う教材であったため、専門的用語が非常に多く含まれている外、一般的な辞書では対応しきれず、また当時はWEB翻訳など無かった為、非常に多くの時間と労力を費やした。

今思えば、生命科学を専攻していたとはいえ、非常に専門的な原文を翻訳したと思う。結局、その作業が認められ動物学では95点(A+)を頂いたのだが…
 
それからと言うもの度々、翻訳や通訳の依頼が飛び込んでくるようになった。大学での生態学や微生物学、細胞学、解剖学、医学などでの翻訳作業は勿論、韓国企業での翻訳作業、プロゴルフ大会での選手及び一般客対応の通訳、日韓ワールドカップ時の現地スタッフ、SBS歌謡ショーにて浜崎あゆみが訪れた際の通訳(日本デビュー前の東方神起も出演)、インターネットショップサイトの日本語訳等々、言語が苦手だったはずの僕が言語に携わる仕事をしていた。
 
翻訳メモリなどのツールを一切使うことなく自分で調べ考えながら翻訳作業をしていたが今はどうだろうか?例えばWEB翻訳としてYahoo翻訳やexcite翻訳、Google翻訳など数多くの翻訳ツールが無料で提供され、翻訳にかかる労力と時間も極端に短縮された。万が一、僕が翻訳を頼まれたその時これらのツールがあれば僕はもっと気楽に作業ができたかもしれない。しかし、これらのツールを初めから使うと翻訳者としてのスキルは決して向上しないであろう。ソース言語、ターゲット言語のどちらも他人に自身を持って出来ると言える場合、これらのツールは非常に有益に活用できるのだと思う。翻訳メモリと呼ばれる様々なツールも現状では100%の翻訳能力を備えているわけではなく、やはり最終的には人によるチェックが必要となってくる。そんな人が言語を理解していなければ話にならない。

今では、翻訳メモリなどを利用することにより、あたかも自分自身に翻訳能力があると錯覚してしまう人も多いのではないだろうか?翻訳メモリの活用は翻訳業界を飛躍的に向上させる反面、間違った認識を持って使用すれば翻訳の品を下げ兼ねない諸刃の剣となるであろう。
 
これからの翻訳業界がより良く安定的に向上するために翻訳メモリは無視することの出来ないツールであることは間違いない。

2011年11月25日金曜日

ローカライゼーションにおける文化の相違点について


もし翻訳とローカライゼーションの分野において大切な点をひとつ挙げるとしたら、”瓜二つのまったく同じ”国あるいは文化など存在しない、ということだろう。馬鹿げているほどひどく当たり前のことに聞こえるかもしれないが、巷のあちらこちらで見かる、質が決して高いとは言えない多くのゲームのローカライゼーションや映画の字幕などをみていると、かなりの数の翻訳業界に携わる人々に、このことがちゃんと理解されていないのでは?と思わざるをえない。
たとえばヨーロッパ系言語などによくみられるが、類似点を多く持つ二つの言語の間で翻訳を行なう場合、ソース言語の各単語を、辞書で調べたそれに対応するターゲット言語の単語に置き換えてしまえばいいだろうという不届きな誘惑にかられてしまいがちである。多くの人々が見落としてしまいがちなのは、そのような単語の置き換えをしたところで、ターゲット言語からすると自然かつ満足のいくような翻訳には必ずしもならないということだ(事実、そういう場合の方が大半である)。

その理由というのはいたって単純明快で、文法的にあるいは語彙的に多くの点で類似がみられるとしても、言語というのはそれぞれ独自の文化的背景を背負っており、それが言葉の使い方や目的に強い影響を及ぼすからだ。同じ語源的背景をもつことが明白な単語同士でさえ、それぞれの言語においてまったく異なる用法であることも珍しくない。このことを理解していないと、いいかげんでぎこちない翻訳に陥ってしまう危険がある。ターゲット言語での翻訳文を見ただけでソース言語での原稿文を文字どおり再現できてしまうような翻訳では論外といえるかもしれない。

ローカライゼーションにおいて違いを生み出す文化の問題は、なにも単語だけにかぎった話ではない。もし翻訳者が、ターゲットとなる文化や国の人々に受け入れられるよう伝えたいと思うならば、それぞれの文化がもつ価値観や思考体系も翻訳に反映させる必要がある。その最も顕著な例のひとつが、暴力的シーンを含むゲームや映画の倫理審査である。首など身体が切断されたり、全編を通して流血シーンのオンパレード、はたまたただ単に赤い液体を見せつけるようなシーンまで、この類いの表現や描写は、翻訳後の完成品では削除される。

日本のRPGの翻訳などでは一般的な話だが、宗教にまつわる表現や言及というのも、アメリカのように信仰の自由が非常に高い価値をもち、それを軽々しく扱うことを善しとしない文化においては、しばしばゲームをローカライズする際に不適切な表現と見なされる。80年代後半から90年代はじめにかけて作られた多くの日本のRPGの中に登場する十字架的シンボルや、「教会」、「神父」、「神」などといった単純な単語でさえ、英語版からは削除・修正されており、これはつまり子ども向けのゲームにはふさわしくないと判断されたからにほかならない。

逆に最近では、たとえば昨年リリースされたアメリカのRPGFallout 3」の場合、日本版がローカライズされるにあたって修正が施された。というのも、同ゲームに登場するクエストで、原子爆弾を使って村を破壊するというものがあり、これなどは日本人、ひいては日本人ゲーマーにとっても、当然ショックかつ到底受け入れがたいものであるのは言うまでもない。

宗教的あるいは暴力的表現の他にも、人種差別や性的描写、またアルコール・ドラッグ・タバコ愛好といった表現も、ゲームをローカライズするうえで問題となりうる。上記のようなものに関連するテキストはすべて、ローカライズ対象となる国のユーザーのことを慎重に考慮しなければならない。
もちろんゲームに対する過度の審査や規制というのも決して歓迎すべきものではなく、問題になる可能性があると思われるものを何でもかんでも削除すればいいなどというのは建設的でなく問題の解決にはならない。しかしそれでもなお翻訳作業には、ローカライゼーション先の対象国において慎重さを求められる対象かもしれないとみられるものに配慮することが絶対的に求められる。一つの単語ですら異なる二言語ではそれぞれ異なるものを意味するのだから、ゲームに登場するある一つのイメージが、異なる2つの文化においてはまったく異なる感情を呼び起こすものであったとしてもなんら不思議ではないのだから。

2011年11月21日月曜日

中国語のグローバル化と日本語の衰退


中国語と日本語はまさに今の時代を反映させている言語のひとつだと言える。
外国語を習う際、その言語が好きか嫌いか以外にも習う言語に将来性が有るか無いかと言う点も重要視される。中国語と日本語はまさに今の時代を反映させている言語のひとつだと言える。

近年、アメリカにおいて孔子学院による中国語教育が益々活発化しており、2004年韓国ソウルに創立して以来、当初100校の予定だったが、現在は世界中に300校を超える孔子学院(教室含む)が存在する。

その中でも、特にアメリカ合衆国では80校を超え、世界最多となっている。

数多くの公式学校で中国語が導入され、幼い頃から中国語を学ぶ子供たちが増えてきた。

孔子学院等のこのような中国語教育のグローバル的展開には批判の声も多々寄せられるようだ。

子供から「中国語を教えるのは中国共産政府によるマインド・コントロール」だとか「西洋文化を侵そうとしている」等様々あるが、中国の経済成長が無視できないものである以上、これからを担う子供たちに中国語を学んで欲しいと考える親が大半である。

世界標準語として英語が使用されてきたが、ここ最近それに変化が見え始めているようだ。

現在、貿易における共通通貨としてUSDが使用されることが多い(但し、企業間契約等によりJPYEURがそのまま使用される場合もある)。これは西南アジアで石油の取引時にUSDが多く使用される事と関連するらしい。しかし、西南アジアに隣接する中国では石油の取引にUSDではなく中国元を使用し始め、石油生産各国もそれを認め始めている。

石油貿易に使用される通貨と言語が英語から中国語へシフトしているのではとの声もある。石油貿易に使用される言語⇒世界標準語と言えるからだ。

米国のファスト・カンパニーは注目する企業50として様々な企業を取り上げたが、その中に中国や韓国の企業は入っていたが日本の企業は一つも入っていなかった。

つまり、アメリカの目から見ても既に日本は衰退の道を辿っていると位置づけられている証拠でもある。
海外に於ける日本語教育が衰退していることも目に見えているようだ。経済的危機により教育現場の中から日本語教育を取り下げることがある。

これは日本語教育にかかるコストが高すぎる等の理由もあるのだが、経済危機とは裏腹に中国語が勢いを増しているのは、やはり学ぼうとする言語と経済成長率は切っても離すことのできない高い関連があるからではないだろうか?

現在、我々の職場ではヨーロッパ圏言語と英語を中心に様々な分野での翻訳作業を行っているが、ここ最近中国語に関する翻訳依頼が増えてきた。

翻訳案件として依頼される言語はまさにその時代を反映させているのだ。

2011年11月18日金曜日

訳とは


先日、家の大掃除をした際、妻と二人でピアノを動かした。
しばらく触っていなかったので随分と埃がかぶってしまっていた。
僕は5歳から18歳の留学直前までピアノを学んでいたので、久しぶりにピアノの楽譜をパラパラッとめくった。

音符をたどると頭の中にメロディーが流れる。

さて、翻訳について多くの人がこれと同じ考えをしているのではないだろうか?
楽譜を見ればどの鍵盤を押せば良いのか分かるように単語を見たらどの訳語を当てはめれば良いのか分かると考えている。
そして、鍵盤を押さえる指の動きだけ見て、素晴らしいと褒め称えるように翻訳者を評価する。

「誤訳とは楽譜と違った鍵盤を押す」こと

「直訳とは楽譜通りの鍵盤を押す」こと

「意訳とは楽譜と違う鍵盤を押さないでくれ」ということ

音を並べるだけでは音楽として成り立たないように、単語も並べるだけでは言葉として成り立たない。並べるだけで十分ならば機械翻訳を使えば良い。しかし、文章は相手に意志や情報等を伝える手段である。つまり、翻訳された文章が読み手にとって何の意味も伝えなければそれは翻訳された文章ではないことになる。
翻訳者たちはこういったことを常に考え、原文とは違った単語や表現で度々翻訳文を作成する。
そして、翻訳について多少知ったようなことを言う人は決まって「ここの訳語が間違っているよ」と指摘する。

翻訳とは直訳ではなく誤訳(相手に意味を伝える為の)の上に形成されていることを知るべきだ。