2015年6月29日月曜日

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2013年7月29日月曜日

ストリートカルチャーとしての同人ゲーム

8月も間近に控え、いよいよサマーシーズン。日本のゲーム業界的には、8月21日から23日までパシフィコ横浜で行われるCEDEC2013が最大のイベントだろう。1999年から開催されているこのゲーム開発者の交流イベントは、日本版のGDCとして捉えることができる。徐々に認知され、現在ではそれなりに大規模なものになってきた。とはいえ、昨年のCEDECの参加者数は4500人ほどであり、2万3000人ものの開発者を呼び寄せるGDCと比べると小規模だ。IGDA日本が取り組んでいるように、今後は海外からの若い参加者も増えてCEDECが大いに盛り上がることを期待している。

さて夏といえばもう一つ大きなイベントがある。8月10日から12日まで東京ビッグサイトで行われるコミックマーケット(C84)である。こちらはゲーム業界と直接関係はないが、三日間で50万人規模の参加者で賑わう超大規模なイベントだ。出展者側のサークル参加者数も3万人を越しており、規模だけみればGDCを凌駕するクリエイターのイベントであるといえる。

同人文化におけるビデオゲーム

基本的に紙媒体の表現で始まったコミックマーケットを含めた現在の同人文化。昨今では初音ミクやニコニコ動画の影響もあって音楽ソフトを頒布するサークルが増えており、「同人音楽」というジャンルも確固たるものとして確立しつつある。そして、紙の同人誌や同人音楽といったジャンルと比べると微々たる規模であるが、ビデオゲームの同人文化も存在している。

コミックマーケットでは「同人ソフト」という名称でくくられているが、創作物としてビデオゲームを頒布しているサークルは800程度存在する。ゲームの種類もクオリティも千差万別であるが、規模だけを考えると、これは明らかに国内最大のインディーゲームのイベントと言える。そして、コミックマーケット以外の同人誌即売会や同人誌を専門に扱う「同人ショップ」でもビデオゲームは流通しており、これらは総称して「同人ゲーム」と呼ばれる。

同人ゲームの世界には、二次創作やアダルトコンテンツも含めて、多様な作品がある。もちろん、オリジナルな作品も数多くあるが、特徴的なのは特定のジャンルへの愛着を感じさせる作品が多いことである。メジャーなゲーム産業からは「枯れた」もしくは「ニッチ」として扱われる格闘ゲーム、シューティングゲーム、ビジュアルノベルといったゲームジャンル。だが、同人ゲームの世界では、それらのゲームジャンルは主役級の人気がある

しかしながら、もっぱらPC向きに制作される同人ゲームの世界は、まだまだマイナーな世界だ。もちろん「東方Project」のZun氏、「ひぐらしのなく頃に」の竜騎士07氏など、一部には有名なクリエイターは存在している。しかし、彼らのファンのすべてが原作の同人ゲームをプレイしたかというと、そうでもない。コミックやアニメなどのメディアミックスの一部として消費している人もたくさんいる。

また日本のPCゲームが非常にニッチであることも、同人ゲームがマイナーであることの一因だ。実際には、SteamなどのPCゲームプラットフォームでは、同人ゲームが世界に向けて販売されており、そのいくつかは商業的な成功も収めている。ただし、日本のゲームメディアがそれらを扱うことは非常に稀であり、結果として同人ゲームの世界は未だにアンダーグラウンドであると言ってよい。

商業ゲームに対するストリートカルチャー

とはいえ、そのマイナーさ、そのアングラ感が同人ゲームの世界にある種のアウラをまとわせているということも否定できない。私はゼロ年代を通して、秋葉原の同人ショップに足を運び、同人ゲームのパッケージソフトを購入してきた。そして、そこで得られるものは本当に貴重なものが多く、未来のゲーム史に残るであろう作品と出会ってきたのだ。

基本的に同人ショップにはアダルトコンテンツが多く、足を踏み入れるのにためらう人も多いだろう。だが、好奇心に忠実になり、勇気を持って足を踏み入れよう。覚悟に見合った対価は確実にある。通常のゲームショップはもちろん、Steamにもインターネット上にも公開されていない素晴らしい作品と出会えるかもしれない。現在は無名なクリエイターの作品でも、もしかしたら今後は世界的に成功を収めるかもしれない。実は有名クリエイターが趣味の延長として匿名で作った作品かもしれない。そして、あなたが手にするものは、歴史を変えるビデオゲームの貴重な初回プレスかもしれない。

このように即売会や同人ショップに足を運んで同人ゲームを買うことは、ゲームショップに並んでいる最新作を買うのとは違った楽しみがある。本当に希少でAmazonにもインターネット上にも流通しないビデオゲームが数多くある。それらの多くは大手パブリッシャーがリリースするゲームに比べるとチープで粗雑で低品質かもしれない。だが、ゲームショップやAmazonでは決して流通しない個性的なゲーム、クリエイターの内面が表れたパーソナルなゲーム、ゲームジャンルやキャラクターへの愛情があふれたゲームと出会えるのだ。しかも、それらがパッケージソフトの形で並んでいるのだ!

もちろん、パッケージも工場で作られたものからお手製のものまでクオリティはまちまち。だが、それらに詰められているのは、ビデオゲームへの確かな愛情と創作物を純粋に楽しんでほしいというクリエイターの魂だ。たとえ小規模であっても、フィジカルな形でクリエイターの熱意を感じられる同人ゲームの世界は、もっともエネルギーに満ちた日本のインディーシーンといって過言ではない。

オフラインの場で直接、作品が流通するその様子はまさにストリートカルチャー。東京ゲームショウで発表される大手パブリッシャーの新作がパリコレの最新服であるならば、即売会や同人ショップで流通するビデオゲームはストリートファッションだ。実際にゼロ年代の秋葉原では歩行者天国が実施され、今は無き同人ショップ「メッセサンオー同人ソフト館」の店頭には同人ゲームのデモ動画が流されていた。世界広しといえども、インディーゲームのデモ動画を店頭から路上に流すような文化は、日本の同人ゲーム以外にはなかったのではないだろうか?

昨今では、IGDA日本が開催する東京ロケテゲームショウ、同人ゲームサークルのへっぽこ氏が開催していただらだらと 同人ゲームであそぶ会など、即売会以外で同人ゲームに触れる機会も増えてきた。さらに今年の11月17日には、同人&インディーズゲームオンリーイベントである「デジゲー博」が大田区産業プラザPiOで開催されるそうだ。同人ゲームに対する認知度が上がっていくことが期待される。

もちろん、同人ゲームだけが日本のインディーゲームではない。だが、そのコアの一つであることは紛れもない事実だ。日本のインディーゲームを盛り上げていきたい人ならば、これらのイベントに足を運ぶことは義務ですらある。日本には素晴らしいインディーゲームが既にある。ただそれらは比較的、アクセスしにくい場所に存在しているのだ。

また日本のインディーゲームシーンに注目している人にも、ぜひともこれらのイベントに参加してみてほしい。パッケージされたものを交換するというプリミティブなコミュニケーションによって、フィジカルな形でその文化に触れることができる。イベントに参加することで、あなたは単なるゲームのプレイヤーではなく、ストリートカルチャーの参与者へと変容するのだ。

2013年7月23日火曜日

Forever '80s! 世代文化としてのビデオゲーム

思えば2000年代はずっと80年代リバイバルだった。

最新作ではレイドバックした70年代風のディスコサウンドをフィーチャーしたダフト・パンク。だが、大ヒットした2001年の『ディスカバリー』は、ゼロ年代のダンス・ミュージックを(70年代末の日本のアニメと共に)'80sの世界観に仕立てあげた。ファッションの世界では、短い丈のライダースやキラキラした(昔はスパッツと呼ばれた)レギンスは2000年代中頃には復活。その勢いはとどまることなく、2009年に「キング・オブ・ポップ」のマイケル・ジャクソンが亡くなったことによってさらに加速した。

USオルタナティブ・ロックに傾倒して、着飾らないパンクスたる私にとって、'80sファッションのリバイバルは唾棄すべきものであった。音楽としてもニュー・ウェーブならともかく、マイケル・ジャクソンなんぞはもっての他であったし、インターネット上でのEDMの盛り上がりなどは冷めた目で見ていた。そんな私の気持ちにはお構いなしに'80sリバイバルは2000年代を通してしぶとく生き残ってきた。

だが2010年代に入ると、私も'80sリバイバルがありのように思えてきたのだ。というのは、2010年代の'80sリバイバルは、ただのファッションではないからだ。それはビデオゲームを含む80年代若者文化の再解釈のように感じる。

80年代文化とビデオゲーム

現在の'80sリバイバルが目指すのは、カウンターカルチャー発ヒッピー崩れのライブエイドのようなものとは決定的に異なる。コンピューターテクノロジーの発展によって拡大した電子音楽やヒップホップ、ビデオゲーム、SF映画といったポップカルチャーの再解釈だ。

実際にコンソールゲームが登場したのは、70年代末から80年代初頭だ。Atari 2600が1977年に登場して、今年30周年となる任天堂のファミリーコンピューターは1983年に発売された。ちょうど同じ時代に、ブロンクスの黒人、ヒスパニック、カリビアンたちは安価になったターンテーブルやサンプラーといったテクノロジーを利用して新しい芸術様式を作り上げた。

ロックマンのトラックでパフォーマンスを行うラッパーのMega Ranはインタビューで自分が「ヒップホップとビデオゲームで育った」と語っている。2006年から活動を続ける彼は、カプコンからの正式なライセンスを受け、ゲーム音楽の世界のラッパーとして海外では人気者だ。日本人にとってヒップホップとビデオゲームという組み合わせは異色のものに思える。だが、1977年にフィラデルフィアで生まれたMega Ranにとって、それらは同じ時代に体験したものなのだ。

他方、ロック・ミュージックの流れにもこれらのテクノロジーは影響を及ぼした。パンクからニュー・ウェーブが登場、シンセサイザーの音は特別なものではなくなった。現在では、それらの80年代の電子楽器のサウンドは、ビデオゲームとのつながりの中で使用されることも多い。クラブ・ミュージックにチップチューン的なサウンドが使用されることも珍しくないし、ハードコアパンクとチップチューンが融合した「Nintendocore」というジャンルは2000年代のインターネットで人気を博した。

映画では『スター・ウォーズ』の第一作目が1977年に公開、SFブームを巻き起こした。その後も『エイリアン』(79年)、『E.T.』(82)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)とSF映画の人気が高まり、テクノロジーの恩恵にあやかったFX技術は80年代の映画の世界の花形だった。また動画だけではなく、エアブラシなどの新しいツールによって描かれたそれらの映画のポスターは80年代のイメージを強く喚起させる。また同時期に一気に商業的に人気を博したヘヴィメタルは、音楽的には保守的なものとして扱われることが多いが、そのファンタジックな世界観やバンドロゴのタイポグラフィは、後の世代のビジュアルイメージにインパクトを与えた。

これらの'80sのビジュアルイメージを音楽と共に再解釈してみせたのがフランスのValerieだ。2007年にブログの形でスタートしたValerieは、これまでエレクトロハウスやシンセポップの音源をリリースしてきた。イラストレーションやデザインを手がけているThe Zondersは、'80sにこだわらないシュールレアリスティックな作風が特徴のデザイン集団だが、Valerieでは徹底して80年代の映画のポスターやヘヴィメタルのバンドロゴからインスピレーションを受けたビジュアルを採用している。

偏執狂とまでも言える'80sリバイバル集団のValerieだが、その美学はニコラス・ウィンディング・レフン監督の映画『ドライブ』(2011)にも引き継がれた。バイオレンスとロマンスが入り交じる個性的な映画だが、主演を演じるライアン・ゴズリングは劇中歌で示されるようにスカジャンを着た80年代の「真のヒーロー」であるのだ。

そして、この『ドライブ』にインスピレーションを受けたのが、昨年のインディーゲームシーンで大絶賛された『Hotline Miami』なのだ。1989年のマイアミを舞台にデロリアンで移動するマスクをかぶった主人公のファッションもジーンズにスタジャンだ。ゲームのビジュアルも80年末から90年代にかけてのアーケード風。一見レトロにも思えるが、実際には非常にスタイリッシュで斬新なビジュアルだ。

このように現在の'80sリバイバルにとってビデオゲームは重要なアイテムだ。というのも、60年代、70年代の若者文化と80年代のそれを決定的に分けるのがビデオゲームであるからだ。そのため、80年代を強く打ち出しているフレンチ・ハウスのアーティストが先日、ビデオゲームをリリースしたのもそれほど驚くことではなかった。

1986年にフェラーリ・テスタロッサのドライブ中に交通事故で死亡、ゾンビとなって2006年に復活したという「設定」のもとに活躍するKavinsky。彼の音楽はその馬鹿げた設定と同様、明らかにダフト・パンクの流れを組んでいるわけだが、ファッションはやはりスタジャンにジーンズ、そしてサングラス。ゲームはあくまでもアーティスト活動の一環であるため、内容はそれほどゴージャスではない。だが、ベルトスクロール風のアクションとテスタロッサのカーアクションは十分に80年代から90年代にかけてのビデオゲームの世界観を反映している。

もちろん時代の流行は地域によって異なっている。だが、ビデオゲームは映画や音楽といった80年代文化と共に先進国の中流家庭に流れ込み、当時の少年少女たちの子供時代を形成してきたのだ。そのため、成長して大人になった彼らが80年代に特別な思い入れを抱き、そこから新たなゲームを制作する可能性は大いにありうる。

ビデオゲームは、2000年代の'80sリバイバルを通して確実にユースカルチャーとしての地位を獲得しつつある。だが、ビデオゲームにとっての'80sリバイバルはまだまだこれからだ。もっと再評価されるべきビデオゲームのビジュアル、デザイン、音楽、そして世界観があるのだ。2000年代の'80sリバイバルにはいまいち乗れなかった私だが、2010年代の'80sリバイバルがビデオゲームを正当に評価するなら諸手を挙げて賛成しよう。そうだ、ビデオゲームが評価されるならば、後10年、'80sリバイバルを続けても良い。Forever '80s! Forever videogames!

2013年7月8日月曜日

スクウェア・エニックスの方針転換と日本のPCゲームの行方

早くも2013年の折り返しの時期がやってきた。GDCやE3といった海外の大規模なイベントを終え、日本のゲーム業界はCEDECや東京ゲームショウがひかえる下半期に突入しようとしている。今年は次世代ハードが登場するということで、ゲームに関するニュースは業界外からも注目されている。

私個人としては次世代ハードにはそれほど興味がない。というのも、現在のビデオゲームの技術は一定の水準まで到達しているため、その技術の範囲内で可能な表現を模索することに重点が置かれていると思うからだ。音楽産業がその再生装置よりもコンテンツの内容にシフトしていった時代のように、ゲーム産業はコンテンツビジネス、エンターテイメントビジネスとしての比重を強めつつあると思われる。

そのような観点からは、次世代ハードの発表以上に衝撃的だったのは、スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストX』のWindows版のリリースに踏み切ったことだ。現在はβテスト中であり、2013年9月26日に正式にサービス開始予定だ。

昨年、Wii版がリリースされた本作は、シリーズ初のオンラインゲームということでファンからも賛否両論あった。ソフトの売り上げは、過去のナンバリングタイトルと比べると低調だが、月額利用料金があるため、単純な比較は成り立たない。最終的な利益もオンラインゲームである以上、まだまだ予想できないが、今回のWindows版のリリースでユーザー規模自体は広がると見込まれる。

脱コンソール化するスクウェア・エニックス

このスクウェア・エニックスのPCプラットフォームでの展開は、同社の経営不振を考えると当然の措置とも思える。2013年3月期に旧エニックスとスクウェアの合併後のはじめての営業赤字。6月にはその責任を取る形で和田洋一社長が退任している。

この業績悪化における「戦犯」は、買収した英アイドスからの新作『ヒットマン』や『トゥームレイダー』の販売不振とされている。カナダのユナイテッド・フロント・ゲームズと共同開発した『スリーピングドッグス』なども含めて、スクウェア・エニックスの経営不振は、海外向けのビッグバジェットタイトルに責任が押し付けられている。そのため、これらの経営陣の退任後、同社が抱える各地のスタジオのリーダーを変更して、AAAタイトルからモバイルゲームに焦点をシフトしているという報道がなされていることも不思議ではない。

では、スクウェア・エニックスは今後、モバイルに特化した戦略を取るかといえばそうではないだろう。『ドラゴンクエストX』の展開以前に、5月には『ファイナルファンタジーⅦ』のWindows版をリリースしていることから分かる通り、同社の戦略はおそらく脱コンソールというものだろう。

もちろん、次世代ハードに向けては、ファイナルファンタジーやキングダムハーツといった同社の人気シリーズの他、アイドスのステルスゲームクラシック『Thief』の最新作のリリースを予定している。だが、PS4とXbox Oneといった次世代機の構成上、これらのタイトルがPCプラットフォームにもリリースされるのは当然の流れであり、今後、スクウェア・エニックスのタイトルの多くがPCやモバイルといった汎用機でプレイ可能になることが予測される。

日本に向けるPCプラットフォームの問題

とはいえ、これまでのスクウェア・エニックスによる国内のPCプラットフォームに対するアプローチは問題含みであった。『Deus Ex: Human Revolution』のリージョンロック問題、『ヒットマン』、『トゥームレイダー』で相次いだ日本語バージョンのロック問題。これらのやり方に多くのゲーマーは不信感を示し、スクウェア・エニックスがユーザーにこれらのタイトルのコンソール版を購入させること、もしくはコンソール版と同じ値段を払うことを強要してきたように思えてならない。

ただしこれらはスクウェア・エニックスに限ったことではない。PCゲームの一大プラットフォームであるSteamの日本ユーザーにはよく知られた言葉として「おま国」がある。いわゆる「お前の国には売ってやんねーよ」の略であり、様々な形のリージョン規制である。もちろん、リージョン規制自体は古くからコンソールにも存在してきた。だが、インターネットでつながったPCという最もオープンなプラットフォームで、そのような規制を行うことはユーザーからは非常に不自然に見える。

さらにそもそも日本においてはPCでゲームをやる文化が根付いていない。それらは80年代からの日本のゲーム産業を支えてきたコンソールの高い普及率の結果ではある。しかしながら、現状のゲーム産業を考慮すると、「イノベーションのジレンマ」に陥っているようにすら思える。

もちろん、日本人の多くはPCに慣れ親しんでいる。しかし、彼らにとってのPCは主にオフィスワークのためのデバイスであり、エンターテイメントは二の次である。国内に小規模なゲーム市場を持つWindowsならまだしも、Macユーザーの中には「Macではゲームができない」と思い込んでいる人は未だに多い。このような状況でビデオゲームの潜在的なユーザーをコンソールに囲い込むような戦略は、どう考えても裏目に出るだろう。

だが、こういった状況も時間とともに変化する。特に今回、スクウェア・エニックスはドラゴンクエストやファイナルファンタジーといった国民的ゲームをPCプラットフォームへ向けて展開してきたわけだ。これを機に多くの日本人が自身のPCでビデオゲームが遊べることに気づくと思われる。願わくば、スクウェア・エニックスにはユーザーにデメリットを強いるようなリージョン規制をやめ、他の日本のパブリッシャーがPCプラットフォームに目を向けるような活躍を期待している。

2013年6月27日木曜日

ビジュアルノベルのグローバル化

世の中にはありとあらゆるゲームが溢れている。そう感じる人は少なくないだろう。事実、その通りである。

しかしながら、我々がそれらの多様なゲームをプレイしているかというと、実はそうでもない。多くの人は、好みのジャンルやシリーズのゲームを絞ってプレイする。そもそも、それらの多様なゲームのすべてをプレイする時間はない。

だがそれ以上の問題は環境だ。多様なゲームの世界も実際のところ、言語、文化、地域、ハードウェアといった壁に阻まれている。日本語にローカライズされていないという理由で、遊びたくても未プレイのインディーゲームは10は下らない。インディーゲーム以外でも日本国内にパブリッシャーがつかないといった理由でプレイできないタイトルはたくさんある。

そのような理由でゲームのローカライズや他の地域やハードでのパブリッシュは、今後のゲーム文化にとって非常に重要だ。AAAタイトルは、開発と並行して多言語対応を行い、複数のプラットフォームで全世界同時リリースすることは珍しくない。しかしながら、インディーゲームやニッチなジャンルのゲームは、言語や文化、地域やハードウェアの壁に阻まれ、ユーザーが遊びたくてもプレイできないということは珍しいことではない。

ビジュアルノベルとオタク文化

中でも「ニッチの中のニッチ」とさえ言われる「ビジュアルノベル」は、これまで日本以外の地域ではほとんど開発されることも、流通することもなかったゲームジャンルである。そもそも、日本のPCゲームというニッチな市場で登場したジャンルである以上、日本国内でもビジュアルノベルはマイナーな存在だ。だが、アニメやマンガを含めたオタク文化の一つ、もしくはそのハードコアとして、ビジュアルノベルはその小規模なマーケットにもかかわらず、国内でも注目を集めてきた。

LeafやKeyといったアダルトゲームブランドの作品、『月姫』や『ひぐらしのなく頃に』といった大成功を収めた同人ゲームは、アニメ化、ノベライズ、コミカライズを受けて多くのファンを獲得している。また日本の批評やゲーム史においても重要なファクターとして幾度と無く言及されてきた。必ずしもファンのすべてが原作のビジュアルノベルをプレイしているとは限らないが、現在の(特に2000年代以降の)オタク文化を築いたものとしてビジュアルノベルの影響度は少なくない。

またゲームプレイのコアの部分はアクションやRPGであっても、日本のビデオゲームは部分的にビジュアルノベルを導入しているものが多い。要するに「立ち絵」と呼ばれるキャラクターグラフィックスにインポーズされるテキスト、及びボイスオーバーだ。ビジュアルノベルをプレイしたことがない日本のゲーマーの多くも、ゲームプレイの幕間に挿入されるパートでそれらに馴染んでいる。

他方、その「立ち絵+テキスト(ボイス)」というあからさまにアニメ・マンガ的演出は、日本以外のゲーマーにとっては非常に奇抜なものに映る。海外で人気のあるFPSやオープンワールド系RPGといったゲームジャンルの多くは、画面から極力テキストを排して、リアリティのある3Dグラフィックスで物語や世界観を表現するからだ。結果として、良くも悪くもそのようなビジュアルノベル的演出は、日本のオタク文化を強く印象づけるものであろう。

海外におけるビジュアルノベル

これらの日本のオタク文化やビデオゲームに与えた影響を考えると、海外のオタク文化のファンたちがビジュアルノベルに興味を持つことはさほど不思議ではないだろう。さらに『Kanon』、『ひぐらしのなく頃に』、『Fate/stay night』といった作品はアニメーションの形で海外のファンまで届いている。北米最大規模のアニメニュースサイトであるAnime News Networkのトップレーティングでは、『Steins;Gate』、『Clannad After Story』とビジュアルノベルを原作とした作品がワンツーフィニッシュを獲得している。これらの作品のファンの一部が原作をプレイしてみたいと思うことは自然なことだ。

先月、京都の立命館大学で行われた国際日本ゲーム研究カンファレンスでは、カナダ人研究者たちによる『Visual Novels Outside Japan』と題された発表が行われた。本学会には筆者も参加したが、発表で使用されたスライドはこちらで閲覧できる

彼女らによれば、ビジュアルノベルを日本国外にローカライズしようという試みは、比較的早い段階から存在したそうだ。アメリカのJUST USAはアダルトゲームを含むビジュアルノベルのローカライザー及びディストリビュータとして1996年に設立された。またヒラメキインターナショナルは日本のアニメーションのローカライズと共にビジュアルノベルのローカライズとパブリッシングを行うために2000年に設立された。

このようにビジュアルノベルは、2000年初頭からすでに海外向けに輸出が行われていた。しかしながら、アダルトコンテンツの販売の難しさ、海外では馴染みのないゲームジャンル、ローカライズのコストといった様々な困難に阻まれ、商業的には成功したとは言いがたい。

しかしながら、その後も日本のビジュアルノベルの多くは、海外にローカライズされてきた。それらの多くは「fan translations( ファンによる翻訳)」である。もちろん、これらの翻訳やローカライズは法的にグレイゾーンであり、ファンによる翻訳プロジェクトは商業ローカライザーやパブリッシャーと対立することもある。しかしながら、ビジュアルノベルのローカライザーとしては後発のオランダのMangaGamerなどは、ファンによる翻訳プロジェクトと日本の開発者を仲介して、公式にfan translationsをリリースすることもあったそうだ。

このようにビジュアルノベルは草の根レベルでは、確実に世界に広がりつつある。それでもビジュアルノベルが市場を獲得するのは、依然として困難であると先の発表の研究者たちは考えている。その理由は、ローカライズのコストやアダルトコンテンツの規制といった問題点以上に、欧米のゲーマーに「文字を読ませる」ことの難しさにあると、彼女らは考えているのだ。

先に述べたように、FPSやオープンワールド系RPGといった欧米で人気のあるゲームジャンルは極力文字テキストを排してきた。さらにそれらのゲームはプレイヤーの入力に対して素早くフィードバックが返ってくる。それに対して、ビジュアルノベルの多くは、選択肢などによるインタラクションをあるものの、それらの決定がフィードバックされるのは大量のテキストを読んだ後である。

欧米のゲーマーにとってビジュアルノベルの最大のハードルは「読むこと」であるという指摘は、発表でも紹介された以下の記事が参考になる。

Visual Novels: A Cultural Difference Between The East And West” from Siliconera
The Weird World of Japanese "Novel" Games” from 1UP.com

これらの記事では、そもそも、文字を読むという習慣が日本と欧米では、かなり異なることが指摘されている。確かに日本人はゲームに限らず、雑誌、マンガ、広告と様々なメディアで文字を読むことに慣れ親しんでいる。またゲームに求めるものも、日本と欧米では異なっているだろう。

草の根による国際化

このようにビジュアルノベルは日本の外では苦戦を強いられているという。そもそも、日本国内でもビジュアルノベルそれ自身はマイナーであるため、想像に難くない。だが、彼女たちは日本の外でビジュアルノベルが成功する可能性は、まだまだあると考えているようだ。その根拠として、カプコンの逆転裁判シリーズ(英題:Ace Attorney)が全世界で累計390万セールスを記録したことを指摘している。

日本人の感覚からすると、そもそも逆転裁判シリーズがビジュアルノベルに当たるのかという疑問もあるだろう。しかし、彼女らによれば、本シリーズは欧米でのビジュアルノベルの需要を少なからず示しており、何よりも多くのテキストを読むことで素晴らしいゲームに出会える可能性を示唆しているというのだ。

狭い意味でのビジュアルノベルではなく、キャラクターの立ち絵と膨大なテキストを含んだアドベンチャーゲームという意味ならば、確かに海外でも成功の可能性はあるように思える。以前に本連載でも書いたように、昨今ではビデオゲームの物語やナラティブが注目され、アドベンチャーゲームというジャンルが再評価されている。その中にはチュンソフトの『極限脱出ADV 善人シボウデス』といった日本の作品も含まれている。

またインディーゲームでは、文字テキストによる表現が見直されつつある。映画的な表現を好むメインストリームのゲームジャンルへの反動、もしくは古典的テキストアドベンチャーとしてのインタラクティブ・フィクションの再評価という流れも手伝い、現在では日本国外でもビジュアルノベルが開発されている。

例えば、Christine Loveの『Analogue: A Hate Story』は批評家からの評価も高く、IndieCade 2012のファイナリストを獲得した。キーボードで仮想的なコマンドラインにプログラムを入力して、AIと対話しながら過去の事件の真相を明らかにするというゲームデザインは、ビジュアルノベルというより、テキストアドベンチャーに近い。しかし、そこで登場するAIは極めて日本的な2Dの立ち絵で表現されている。物語の内容はLGBTといったセクシャリティに関連したシリアスなミステリーである。

またDischanは、ハイクオリティなビジュアルノベルを制作している国際的な開発スタジオだ。iOS向けに開発された『Juniper’s Knot』は、1時間程度の小品だが、非常に洗練されたアートワークとサウンドが堪能できる。現在、制作中の『Cradle Song』は学園を舞台にしたオーソドックスな内容になっているが、開発と並行して各国語版のローカライズが進んでいるのが興味深い。Dischanはゲームの開発だけではなく、インディペンデントなビジュアルノベルのディストリビューションを行なっており、そのクオリティの高さに驚かされる。

また日本でも同人サークルのぜろじげんは、PlayStation Mobileでビジュアルノベルの世界同時配信を目指している。サークル代表のマサシロウ氏は海外のアニメ系カンファレンスやイベントに参加するなど、国際的な活動を行なっている。新作の翻訳も海外のファンと連携しながら行なっており、ビジュアルノベルという文化を支える草の根レベルの交流は積極的に行われているようだ。

このような現象を見る限り、グローバルな舞台におけるビジュアルノベルというゲームジャンルはまだ始まったばかりなのかもしれない。また、英語圏におけるインタラクティブ・フィクションという伝統もそこには接続されており、テキストを主体にしたビデオゲームが今後、発展する可能性は十分にある。またRen’Pyのような海外産のノベルエンジンが登場したインパクトは大きく、今後、英語圏では一層多くのビジュアルノベルが制作されるのは間違いないだろう。(紹介した『Analogue: A Hate Story』も『Juniper’s Knot』もこのエンジンで開発されている。)

文化が文化と呼べるものであるならば、それは商業的な成功とは別なところにもゴールがある。これらのクリエイティブな試みが言語の壁によって断絶されているとしたら、それは悲しいことだ。まだまだポピュラリティーが低いビジュアルノベルというジャンル。指をくわえて待っていればローカライズされるという発想は甘いだろうが、今後はファンも含めた国内外の交流を期待している。

2013年6月19日水曜日

PlayStation Mobileのという新しいプラットフォームとその行方

E3が無事に終わり、次世代のハード、ローンチタイトルなどが明らかになってきた。私はどちらかといえば、Xbox Oneにせよ、PS4にせよ、ハードやソフトよりもそのサービスに興味がある。大方の予想通り、Xbox Oneはホームエンターテイメントのハブ、PS4はよりゲーマー志向の専用機であることはほぼ確定だろう。

どちらのハードにせよ、その成功はネットワーク上のサービスをどう展開していくかにかかっていると思う。ゲームコンソールはこれまで製品をリリースした後は、主にデベロッパーとのやりとりが重視されていた。だが、これからは「サービス事業者」としての意識を持ってエンドユーザーの顧客満足度を向上させることが必要だ。つまり、これからの戦いの舞台は、Xbox OneとPS4という単なるハードウェアだけにはとどまらず、Xbox LiveとPSNというオンラインサービスにもあるというわけだ。

双方ともプレイ動画のストリーミングなど新しい機能を投入してきているが、微妙な方針の違いがある。Xbox OneがXbox Liveアーケードのゲームを切り離す一方、PS4には後方互換性はないものの、SCEには「すべてのプレイステーションのコンテンツの互換性をクラウドで実現する」という長期的な目標があるとされる。この「長期的な目標」がどの程度まで実現可能かはさておき、この面でMicrosoftとSCEの間には長期的な戦略の違いが見られるように思われる。

Microsoftは、ゲーマーからノンゲーマーまでXbox LiveのコンテンツをXbox Oneで楽しんでもらうことを想定しているのに対して、SCEは「プレイステーション」という大規模なサービスの一部としてゲーマー向けのハードウェアであるPS4 を位置づけているように思える。

そのようなSCEのクラウドサービスとしてのPlayStationという方向性は、2012年の7月にGaikaiを買収したときにある程度、決まっていたようだ。その後、Gaikaiの技術が具体的にどのように活かされているのかは明らかではないが、PS4のいくつかの機能に活かされているらしい。ともかく、SCEの方針としてクラウドゲーミングという方向性があるのは間違いない。

そして、オンラインが前提としたマルチプラットフォーム対応のクラウドゲーミングとは別な技術だが、現在、SCEが展開している中で、それに近い試みとしてPlayStation Mobile(以下、PSM)があげられる。

そもそもPSMとは何か?

一体、PSMについてどの程度、知られているだろうか?正直なところ、ゲーム業界に従事している人以外でPSMについて言及している人は見たことがない。メインのハードウェアがPS Vitaの普及度がまだまだであるため、PSMの存在自体まだまだ知られていないようだ。

もともとはPlayStation Suiteという名前で始まったこのプロジェクトは、様々な端末で「PlayStationの世界」を楽しめるようにするのが目的だ。PSMは現在のところ、PS Vita及び、PlayStation Certifiedという認証のあるAndroidデバイスでサービスが開始されている。有料のダウンロード型ゲームがメインであるが、ゲーム以外のアプリの配信も可能だ。現在、順調に配信タイトルを増やしているとは聞くが、PS Vitaの普及がまだまだであるため、知名度も開発者もコンテンツも少ないのが現状だ。

新規プラットフォームにおけるコンテンツ不足というのは、必然的な現象だ。SCEはPS4でもPSMでも、このプラットフォームの立ち上げ時のコンテンツ不足に対して、インディーデベロッパーを呼び込むという戦略を行なっているように思われる。もちろん、以前に書いたようにプラットフォーム立ち上げ時のクリエイター発掘という方向性は、「ゲームやろうぜ!」や「PlayStation C.A.M.P!」に見られるようにSCEのコンテンツ戦略の十八番ともいえる。

実際に、インタビューにおいてSCEJシニアバイスプレジデントの桐田富和氏は「ゲームやろうぜ!」に言及しながら、PSMがクリエイター育成のためのエコシステムであることを強調している。とはいえ、PS Vitaの普及率の低さや年間7980円かかるパブリッシャーライセンスがネックとなり、これまでインディーデベロッパーにとってPSMというプラットフォームがそれほど魅力的には思えなかった。

だがSCE側もそれらの問題を認識したのか、期間限定のパブリッシャーライセンスの無償化、インディーデベロッパーとの積極的なコミュニケーションを打ち出してきている。さらに、MicrosoftがXbox Oneにおいて、インディーゲームを含めてこれまでのXbox Live向けのコンテンツを切り離し、開発環境であったXNAを終了したことも手伝い、インディーデベロッパーにとってにわかにPSMは魅力的なプラットフォームとして浮上している。

インディーデベロッパーから見たXNAとPSMの比較については、先日行われたIGDA日本のSIG-Indie(同人・インディーゲーム部会)における佐川氏の報告を記事を参照して欲しい。開発環境としてのPSMはまだまだ未開拓な部分が多いが、アプリの審査や卸売という販売方法などはインディーデベロッパーにフレンドリーな部分が多いといえる。

またこの勉強会では、パブリッシャーライセンスの無料期間の延長の可能性、インディーデベロッパーのためのイベントの開催予定など、SCE側はインディーゲームに積極的な姿勢を示している。PSMが2000年代後半にXNAやXbox Liveインディーズが担った役割を果たす可能性も少なくないだろう。個人的にもPlayStationというプラットフォームに対する興味は高くなり、今後も注目していきたい。

一方で、現状のPSMが抱える重要な問題点も浮き上がってきた。それはPSMが目指すものが、クラウドゲーミングのようなマルチプラットフォームなのか、クリエイター発掘のためのオープンプラットフォームなのか、いまいちはっきりしないことである。これは先ほどの桐田富和氏のインタビューにも表れており、一方ではクリエイター発掘を謳い、他方では多様な端末で同一のコンテンツを楽しむことを目指している。

しかしながら、SIG-Indieに参加した開発者たちの多くは、Androidで自分の制作したゲームが動くことよりも、PS Vitaで動くことを重視している。開発者としては多種多様なAndroid端末への対応を求められるよりも、最新スペックの専用機で自分のゲームが動くことの方が魅力的なのだろう。他方、SCE側としては様々な端末で「PlayStationの世界」を楽しんでもらい、プラットフォームとして拡大することを望んでいるのであろう。

もちろん、様々な端末に対応することとクリエイター発掘が両立しないわけではない。とはいえ、多様なAndroid端末への対応に追われ、ゲーム開発や流通のプラットフォームとしての魅力が下がるようなことだけは避けてほしいところだ。そのためには、多様なデバイスへの対応というクラウドゲーミング的な方向性とクリエイター発掘という方向性のどちらに重点を置くかをはっきりさせることが肝心になってくるだろう。

2013年6月6日木曜日

UIにおけるファインアートとしてのビデオゲーム

フラットデザインが流行っている。主にウェブデザイン業界の話であるが、次期iOSのデザインもフラットデザインを採用するという噂が流れており、エンドユーザーにとっても関心がある話題だろう。

「フラットデザインとは何か?」という話題が、昨今のブログで賑わっている。悲しいことにほとんど誰もXbox 360に触れてくれない。普通の日本人にとってXbox 360は馴染みのないゲームハードかもしれないが、昨今話題のフラットデザインの一つの明白な起源のひとつはXbox 360のダッシュボードである。

日本では2011年12月6日にアップデートされたXbox 360のダッシュボードは、「Metro UI」と名付けられていた。近々アップデートが噂されているが、このダッシュボードは現在も使用されており、私はそのデザインには愛着を持っている。このMetro UIは、その後のWindows PhoneやWindows 8のデザインの起源となったが、マイクロソフトのちょっとした不手際の結果、現在は「Modern UI」という呼称が用いられている。

スキューモフィック VS フラット

フラットデザインに関しては、賛否両論持ち上がっているが、私個人は好みである。Appleが推し進めてきたスキューモフィックデザイン(現実に似せたデザイン)の行き過ぎに対する反動から、フラットデザイン擁護者はそのシンプルさを訴えている。他方、スキューモフィックデザインの擁護者は、現実のオブジェクトや道具に似ていることによる利便性や使い勝手の良さを訴えている。

私はそもそも認知科学におけるアフォーダンスの議論をコンピュータUIに流用するという発想自体に懐疑的であるため、スキューモフィックデザインによって、利便性が高まるという主張にはあまり納得できない。さらに後述するが、究極的には現代のOSやアプリケーションなどのUIは既に使い勝手や利便性のためだけに存在しているではないと考えている。

フラットデザインの批判者の多くは、その使い勝手の悪さにケチを付けるのであるが、果たしてこれまでのOSやアプリケーションのUIがスキューモフィックであることによって、使い勝手が良かったことなどあっただろうか?ほとんどは慣れの問題である。見慣れたアイコン、見慣れたUIが使い勝手としては究極的には良いと思う。

Appleが推し進めてきたスキューモフィックデザインも使いやすさという言い訳があったにしろ、その大部分が単なるトレンドであったように思える。iPhoneのレコーダーアプリにコンデンサーマイクのような画像を表示するのは、確かに目新しかったが、便利と感じたことは一度もない。現実の質感に似せるためにシャドウやグラデーションを駆使するのは、デザイナーとしての腕の見せ所であったかもしれないが、正直、もうウンザリという気分だ。

スキューモフィックデザインが時代遅れに感じた個人的なエピソードがある。人気カメラアプリのインスタグラムのアイコンの変化だ。2011年に行われたアップデートでインスタグラムのアイコンは、ブラウンの落ち着いたフラットなデザインからカメラのレンズが飛び出すようなスキューモフィックなデザインに変化したのだ。

おそらく、投資家やマーケティングの判断であろう。今からしてみると、時代に逆行する変化であり、個人的にはアイコンがダサくなったと感じた。「写真」というメディアをスマートフォン時代に再解釈したインスタグラムというアプリは素晴らしいものだと思うが、インスタグラムが与えてくれる体験は、旧来のゴテゴテしたカメラで撮影する経験ではなく、もっとライトでフラットなものであったはずだ。

このように私個人としては、2011年の段階で、スキューモフィックなデザインに飽きていたし、同時期に登場していたWindows PhoneのUIには惹かれていたし、Windows8にも比較的楽観的だ。もちろん、機能的に考えると、慣れない部分はあるだろうが、新しいインターフェイスは新しい体験を与えてくれる。オフィス用のPCはともかく、パーソナルなデバイスのスマートフォンやタブレットにはそういった新鮮な体験を私は求めているのだ。

UIのトレンドを牽引するビデオゲーム

話がゲームから大きくそれたが、ここで現在のフラットデザインが普及したきっかけがXbox 360にあったことに目を向けてみよう(残念ながらWindows Phoneは普及したとは言えなかった)。Xbox 360が大胆なフラットデザインにも関わらず、多くの人々に受け入れられたのは、それがゲームのための、エンターテイメントのためのUIだったからだと思う。エンターテイメントのプラットフォームとして、利便性以上に新鮮な体験を演出できたのが、Xbox 360におけるフラットデザインの成功だったように思える。

衣服が既に利便性のためにあるわけではないのと同様、OSやアプリは利便性のためにだけあるのではない。App Storeにおけるゲームやエンターテイメントアプリの多さを考えれば当然だが、人々は便利さよりも楽しさ、新しさを求めている。そして、ビデオゲームはそのようなアプリケーションの中でもっとも制約が少なく自由に創作できる芸術なのだ。逆に言えば、ビデオゲームとは、純粋にインタラクティブなだけのUIとも言える。

よって、これからのパーソナルコンピュータやモバイルコンピュータのUIにとって、ビデオゲームは最も重要なアプリケーションだ。そこでは「機能性」や「利便性」といったことに囚われることなく、自由にUIの実験ができる。もちろん、その中には普通のアプリに取り入れようとは思えないバカげたものも多いだろう。しかし、ハイファッションが既製服に、ファインアートのデザインがコマーシャルなデザインに影響を与えるように、いくつかのビデオゲームのトレンドはUIに影響を与えると思う。UIやWebのデザインはより自由になり、トレンドや好みによって個々人が着飾るように選択する時代はそう遠くないと思っている。